三万円の香水をつける女、琴南奏江。





LANCOME  Miracle




琴南奏江という女は、プライドの水、ともいうべき、三万円の香水をつけている。


『誰にも、何にも、負けない』


自分自身を半ば執念で追い込み磨き上げ、まるで本人それ自身が宝石のようである。唇から、まつげの一本まで完璧に仕上げる。震える艶やかな睫毛一本で、アップに耐える美しい演技も可能となる。


それに、服、靴、バッグ・・・ある種の女達がその『プライド』をかける部分も、当然自分が納得いくものを身につける。

 
『演技以外のところで負けるなんて許せないわ』


それは、奏江の一番の「コンプレックス」から端を発している。
大人数家族が故の、許されない「贅沢」。
「女優として」働いて、「女優業で」貯めて、「女優の」自分の為に使うのが夢だった。


今は、少しだけ、その夢の中に、いる。


当然香水だって、3万円だろうが、自らなりたい女になっている実感が湧くのだから、高いとも思わない。自分がなりたい女優に、一歩近づける、なら。


ただ、望むとおりの格好をして、望むとおりの仕事をして、望むとおりのモノを全て手に入れてみても、まだ少しだけ、時々何か心の中に更に「羨ましい」と渦巻く何かがある。



「モー子さん、いつもいい香り〜!」

キョーコは奏江の纏う香りを身体いっぱいに吸い込み、堪能して、ゆっくり深呼吸をするように吐き出すと、そう言った。
奏江は「そう?」と言って、事も無げに返す。キョーコにもそう言って貰って、嬉しいような、くすぐったい様な、でも、プライドのようなものが、その感情を表に出す事をさせない。


奏江はキョーコの事を、「信頼」はしているが、馴れ合おうとは思っていない。何でも馴れ合う事程、「緩む」事はない。緩んだら、顔も、身体も、心も、今まで磨き上げてきたもの全てが、緩んでしまう。奏江にとってそれは、最大級の恐れでもある。たった一度の「緩み」が、それまでの自分の歩みのすべてを突き崩す事だってあるのだ。


だから、人間関係においても、それは同じだった。馴れ合って緩んで、適当な時間を過ごすなら、互いに高めあえる関係である人間と傍にいたい。そうすれば、少なくとも自らも「緩む」事は無い。


ただ、奏江がキョーコを「認めて」いるのは、彼女の内側からにじみ出るモノが美しい、からだ。凛としたどこか「美しい」ものを持っている。それが奏江をも惹きつける。それは化粧品では決して取り繕えないものだ。結局は、奏江にとって傍にいたいと思う人間は、見た目だとか化粧品だとか、プライドとかではなく、そういうような所に行き着く。


「でもアンタだって、結局敦賀さんがくれる香水、着けているわよね。その香りも別に嫌いじゃないわ。アンタの事、よく分かっているわよ。さすがじゃない?」


キョーコは奏江に香りを褒められて、再度顔が輝く。キョーコ自身も奏江のセンスの良さを尊敬していたし、一点の曇りも無いほどに綺麗に磨きこんでいる奏江自身に褒められる事程、自分に自信を与えてくれるものは無かった。


それは奏江の本心ではあるが、それの続きに、「まったく女友達なんて彼が出来たら」、などと、今まで使ったこともない、お決まりの冠言葉のような台詞が頭に思い浮かんだ。そしてキョーコを自然と友人位置に置いていた自分に気付く。


蓮の香りの束縛などを好んで受けているキョーコは、彼に愛されていて自身も愛されたいと思っていることを、香り一つで奏江の嗅覚にふわりと優しく伝えてくる。恋愛の長話をすることもない。それは奏江にとって不快ではなかった。


キョーコと化粧品の話をしたり、香水や服の話をするのは嫌いじゃない。ただ最近キョーコが「メイクさんに勧められたから買ってみたの」と言って嬉しそうにしていた、ボディケア専用のミルクの結果に関しては、別だった。


急に磨きこみ始められた身体は、見るからに潤い、みずみずしく、肌はどこか透き通ってきた気がする。磨きこむことを覚えはじめた身体は、あっという間に美しくなった。もちろん役者として美しくなる事を覚える事は当然だ。そしてそれは全てキョーコに出来た「男」のものになる。


さらにその精度の上がった腕の白さや透明度を、惜しげもなく、ノーブランドの可愛らしいTシャツの袖からのぞかせている。スレンダーなキョーコではあるが、覗かせる肌は柔らにほぐれているし、その美しい肌を無防備に見せ、女の奏江でも「触ってみたいわね」と思わず思った。まさか「香り」以外でも彼に愛されている事を主張してくるなんて・・・


――なんだか「愛されボディ」なんて、雑誌のキャッチコピーの象徴みたいで・・・・・


「なんかやらしいわね・・・・。」


つい呟いた奏江の一言に、キョーコはぎょっとした。


「な、何?なんで????私が何か、おかしなこと言った?」


いきなり頭上に降ってきた爆弾発言に、キョーコは理解出来ずに混乱しているようだ。けれども、奏江は、「彼に愛されてるって事よ」、とだけ伝えた。何か分からないが、どうやら、自分の「恋愛」について奏江に言われているようだとキョーコは思い、本気で照れて、俯いた。


「おい、奏江。」


部屋を訪ねてきた相手に、キョーコは目を輝かせて、そして、「じゃあまたね」と言って、にっこり笑ってキョーコは部屋を出た。うふふふふ、と笑うキョーコは、入ってきた相手の手にしていた紙袋を見て、少しだけ、その後のドラマを予想した。

入ってきたのは飛鷹だった。
飛鷹が持っていた紙袋を奏江に渡す。


「お前に。似合うと思って。」


不器用な彼は、それ以上を言わないだろう。キョーコは、飛鷹に恋愛話を聞かれ、少しだけ自慢したのだ。飛鷹と話していた時に着けていた香水は、彼が「彼」になった時に貰った香水である事を。そして、今も、新しい香水を選んでもらっている事を。

そして、


「好きな人に、自分に身につけて欲しい香りを選んでもらうのって、結構嬉しいの。」


と、真っ赤になっている飛鷹を更にからかう様にノロケると、素直な飛鷹は更に赤面した。まさか悪魔のような形相をする姉のようなキョーコが、ここまで女らしい発言をするようになるとは思わなかったからだ。


キョーコは飛鷹の気持ちを確信していた。


「お前、なんかいつも大人がつけるような香りしかしないから・・・。たまにはこういうのも、いいだろ。」


飛鷹が持ってきたのは、ランコム「ミラク」。
奇跡という名の一滴。
磨きこんでいる奏江を思った、飛鷹なりの一瓶だった。
そして、奏江に、色々な意味で自分の近い位置にいて欲しいと伝えるための一瓶。


奏江のつける香水は、自分が買ったものよりももっと濃厚なものだとは分かっている。いつか、自分がその香水を着ける奏江がそばにいても似合うようになりたいと思った。でも今は、これをつけて傍にいて欲しい。


「・・・・ありがと・・・・。」


驚いて、奏江は貰った香水をじっと眺めていた。
今までこんなライトな香水など見向きもしなかったのに、他人が自分を思って贈ってくれたそれは、急に大事な一瓶になった。


「奏江がつけてる香水よりは安いし軽いと思うけど。」


飛鷹が素直にそういうと、奏江は、


「値段じゃないのよ。」



――気持ちよ、気持ち。


その言葉は、飲み込んでしまったけれど。


少し甘くて、少しスパイシー。
その日の気分で色々イメージが変わる、不思議な香水。


飛鷹と会うとき、この香水を着ける。たった一吹きする瞬間、なぜか妙に胸がドキドキする。値段じゃない。香りじゃない。プライドでもない。この香水がもたらした、新たな感情。


「もう!!!!緩むじゃないのよ!!!!(怒)」


しばらく、香水のボトルを見つめて、本気で心を何かに昂ぶらせた事に、奏江は気付きたくなかった。きっと、今は、心の親友の「鏡」を見てはいけない。たった一瞬で、心を「緩ませる」香り。何と憎い事か。


でも、もしこの「緩み」を受け入れたら、最近のキョーコのように、もっと美しくなれるかもしれない・・・・と、さらに一瞬の心の「緩み」と「誘惑への弱さ」を自覚した奏江は、両手で自分の頬を挟むようにして、ぴしゃぴしゃ、と叩いて、自分を戒めた。


一日その香りに包まれながら、飛鷹との時間を過ごした。


彼の前で最高に優しく、・・・・・親友の「鏡」が一切知らない・・・・・緩み、とろけるようにはにかむ奏江がいた。









2008.06.12



飛鷹君好きでした。今は何してるかな。奏江さん←飛鷹君カップル好き。
サイト始める前に頼まれてて、三年ぶりにようやく出来たノロマ作品でした(笑)
奏江さんには心からの幸せをあげて欲しいものです。