make up one's mind




中学校からの帰り道、海沿いの道でササコは、彼に会った。崖の傍だった。崖には似つかわしくない程洗練された出で立ちで、一人、車の脇に立っていた。ササコが見ても良い物だと分かるコート、スーツ、サングラス。手には雑誌だろうか、何かを丸めて持っている。その男の視線の先には、崖と、寒さ吹きすさぶ、海。吹き上げる強い風が、その男のコートの裾を舞い上げた。

彼は車から離れると、その崖間際まで近づくように一歩ずつ進んだ。観光客が海を見るなら、もっといい見晴台が下にある。もしかして。

「その先は危ないです」

ササコは走って近づき、声をかけた。その崖のニュースには事欠かないから、いい事をしたつもりだった。男は振り返ると、声の主を探し、ササコを見つけると、サングラスを取り、にこり、と笑った。

「大丈夫だよ」

ササコは、まるで異世界にでも飛び込んだような気がした。サラサラした髪が風になびき、美しい雰囲気を纏っている。まるで、絵本の世界から出てきたような男だった。思わず、息を呑んだ自分が居た。


「この崖がとても美しくて綺麗な所だと、聞いたから。傍で見てみたかったんだ」
「・・・・落ちないで、下さい」

ササコは一言そう言うのが精一杯だった。クラスの男子で一番カッコイイと言われている男の子なんかよりも、ずっとずっと、カッコよかった。

ドキドキ、している。これが、恋、というものなのだろうか。ササコは、誰かに恋をするとか好きになる、という事にひどく鈍くて、どうやって好きになったらいいのか、よく分からなかった。

「ありがとう」

また、にこり、と笑った。彼は、声をかけるササコを疎ましく思ってはいないようだった。

車で来ているという事は、もう、二度と会えないかもしれない。だから、ササコは、思い切って、会話を続けてみる事にした。ササコにとっては、それこそ、崖から飛び降りるような勇気がいる事だった。

「この崖の風景、とっても綺麗なんですけど・・・綺麗だから、って・・・もっと近づきたい、見てみたいって・・・思ってしまうみたいで、海に吸い込まれてしまう人がいっぱいいて、地元の警察の人、たいへんなんです。この場所は、近づいたら、ダメって。」
「綺麗だね。だからもっと見てみたい・・・って・・・思うんだろうね」


男はササコの言葉を繰り返して、夕陽に染まる海に視線を戻した。

ササコは困った。そもそも人見知りな上、人が苦手なのに。これ以上会話など続ける事などできない。じりじり、と変な汗をかいてきた。視線がどんどん下がっていく。下がった先で見えたのは、男が手にしている雑誌のようなものだった。

「あの、それ、何ですか?」

言ってしまってから、しまった、と思った。別に男はササコの事に興味など無いし、崖を見にきているだけだ。珍しくササコは勇気を出してみたものだから、つい、気が大きくなったのかもしれなかった。

「これ?」

男は、ササコを見た。俯きながら、セーラー服から覗く首筋まで真っ赤になっていて、小さく頷いたササコに、男は、ふっ、と優しく表情を緩めた。


「台本だよ」
「・・・演劇か何か、されているんですか?私も、演劇部なんです」


ササコは、その言葉を聞いて、ぱっと、嬉しそうに顔を上げた。共通点がある会話ができた、と思った。男と、目が合った。男は一瞬ササコが急に顔を上げた事に驚いたが、その後すぐに微笑んだ目は、とても優しかった。

ササコは、ものすごい強さで、心臓が収縮した気がした。
そんな自分にビックリして、また、俯いた。

「奇遇だね、そうだよ、オレも、仕事で演劇してる。演劇部は、楽しい?」
「はい、でも・・・」
「でも?」

ササコは俯いた。

「わ、わたし、勉強ぐらいしか取り得がなくて・・・あんまり・・・人と話すのとか、得意じゃなくて・・・今、こうしてお話しているのも・・・自分で驚くぐらい・・・。で・・・、だから・・・友達が勝手に私のも、部活届けを出してしまったんです。だから・・・」
「でも、好きなんだろう?」
「はいっ・・・例え、一言しかない通行人でも・・・わ、私でも・・・何か、人のために役に立ててるって思えるから・・・。すごく、すごく・・・その一言でも緊張してしまうんですけど・・・・」

ササコは、恥ずかしそうに、でも、嬉しそうに、男に言った。

「十分」

男の言葉は、力強かった。

「本当ですか?」
「本当だよ。みんな、最初はたった一言の台詞も、言えないんだから。一言台詞ある・・・えっと・・・そういえば名前は・・・?」
「・・・ササコです」
「そう、一言しっかり言えるだけ、ササコちゃんは、立派だよ。オレなんか、たった一言がうまく言えなくて、怒られた事なんていっぱいある」


男は思い出したように、くすくす、と笑った。
ササコも、笑った。
男は、ササコが笑ったのを見て、


「お友達に感謝しないと。ササコちゃんが自信を持って笑える場を作ってくれたんだからね・・・」
「はい」


ササコは、強く、頷いた。
その目を見た男は、また、一つ、微笑んだ。

「・・・じゃあ、ササコちゃん、オレは・・・もう行くね。演劇、頑張って。オレも、頑張るよ」
「はい、よかったらまた、この崖に遊びに来てください」
「うん、また来る」

もう二度と来ないかもしれないのに、自分を気づかってそう言ったその男の気持ちが、ササコにとってはとても嬉しかった。

そして男は、持っていた台本に何か走り書きすると、

「あげる。出会った記念に」

そう言って、ササコに渡した。ササコは、寒さでかじかんだ手で、震えながらそれを受け取った。ありがとうございます、と、嬉しそうに付加えながら。

「そうだね。ササコちゃんが、もし、演劇する事が仕事になったら、一緒に仕事をしよう。その時は、東京のLMEという所に来るといい。オレはそこにいるから」

ササコは、走り去った車に小さく手を振りながら、エルエムイー、と、忘れないように何度も小さく、呟いた。


開いた台本は彼の雰囲気のようにとても綺麗で、所々丸がつけてあるぐらいだった。自分はもっと書き込むし、覚えられない所のマーカーだらけだ。

彼が走り書きしたのは「また会おうね」と書かれた英語と、どうやらサインだったが、それが誰なのか、ササコには判別する事が出来なかった。


次の日、ササコは学校に行き、演劇部の友人に、必至で、一連の話をした。友人は、誰なんだろうね、それ、と言いながら、持っていた、デビュー雑誌をササコに手渡した。

「ササコー、あんた勉強大好きで全然アイドルとか芸能人に興味ないからかもだけど、もしかしたら超有名人に会ったのかもよ?ちょっと見てみてよ〜。こっちにアイドル系の雑誌もあるし。誰だかすっごい気になる〜」
「・・・わかんない。すごく、カッコイイ人で、なんか・・・ドキドキした。恋ってこんな感じかなって、初めて、思った」
「マジで?」

ササコは、一つだけ、頷いた。

「男オンチなアンタが?よかったじゃん。てか、それが芸能人だったら超ウケルんだけど」

信じていないかのように、けらけらと楽しそうに笑う友人に、少々むっとしながら、ササコは渡された雑誌を開いて、すぐに、思わず息を呑んだ。広告に写る、ブランドものの、ものすごく仕立てのいいスーツを着こなす、長身の男が、目に飛び込んだ。

しかし、「あれ、おかしいな、お仕事は演劇って言っていたのに」・・・と思いながら数ページ捲ると、彼のインタビューが載っている。

「・・・やっぱりこの人・・・だ・・・・」

ササコは、写真に向かって、指を刺した。

「・・・は?」
「・・・・サングラス外した目とか・・・髪型とか・・・微笑み方とか・・・そっくり・・・。ねぇ、コレ、誰?」
「・・・・・・・・マジで?」
「うん・・・。演劇がお仕事だって言ってた・・・・だから、演劇の話をして、誘ってくれたお友達に感謝だねって、言ってくれて・・・演劇が仕事になったら、いつか一緒に仕事しようね、って言われた・・・」
「・・・・敦賀蓮、知らないの?ササコ・・・・」
「・・・そうなんだ・・・この男の人、なんだ・・・・」


ササコが珍しくしげしげと雑誌の蓮のインタビュー記事を眺めている間、友人の絶叫が、教室じゅうに響き渡った。みんなが注目する視線を一身に受けたササコは恥ずかしくて、また、首まで真っ赤になった。



******



その数年後。蓮の車の中で。
社が後ろの席から蓮に話しかけた。

「蓮〜・・・SASAKOちゃんって、中学時代に会った蓮を追いかけて、LMEまで来たって言ってたけど・・・。SASAKOちゃんが中学時代って・・・オマエ彼女と一体何歳差だと・・・いやっ、キョーコちゃん、あのっ・・・違うんだよ?そのっ・・・オレが知らない間に、蓮がしてる事だからさっ、オレの責任外なんだけど、でもっ・・・マネージャーとしては・・・ね?だから・・・・」

物凄く勘違いをしている社に、蓮は可笑しそうに笑った。

「すっかり忘れていたんですけどね、彼女に渡した台本を見て、思い出しました。ええ、確かに誘いましたよ。たしかオフに一人で車を走らせてて、立ち寄った崖で、会ったんです。落ちるから気をつけてって言われて、少し話をしたような覚えがあるんですけど。演劇部にいて、演劇が好きって言ってたから、仕事にしたいぐらい好きになったら、一緒に仕事しようねって・・・LMEにおいでって・・・言ったような気が・・・」
「・・・演じるのが好きな子にはとことんオマエ、甘いからなあ・・・」

そんな会話を横で聞いていたキョーコは、

「・・・・敦賀さんに「おいで」なんて言われたら、本気でここまで来てしまう人どころか、敦賀さんのために人生捧げてしまう人、たくさんいるんです・・・。敦賀さんの一言は影響力が強いんですから、不用意な事言わないで下さい。・・・・でもSASAKOちゃんはすごく可愛いし、本当に演劇が好きだからいいですけどっ。「LMEから出て行け」と言われた私が言うことではありませんがっ」

キョーコは、ぷい、と顔を背け、わざとらしく頬を膨らませた。
そんなキョーコを見た蓮は、くすくすと面白そうに笑い、目を細めた。

「SASAKOちゃんに、嫉妬してる?」
「いーえ?」
「そうかな?」


信号待ちで車を止めた蓮がキョーコの髪をくしゃくしゃ、と混ぜると、キョーコは一つ息を吐き、

「・・・サ、ササコちゃん・・・まるでお姫様みたいで、すごく可愛いんだもん・・・顔ちっちゃいし、控えめで、でも、演技はうまくて、芯があって・・・人気女優さんになっちゃったから・・・敦賀さんが本当の初恋って言ってるし・・・・」

と、本音を漏らした。

「大丈夫、オレは、君の演技が好きだよ?」
「演技がって!」
「くすくす・・・君はオレのために人生捧げてくれないのかな・・・」
「・・・・もうっ・・・・私で遊ばないでくださいっ・・・」


社が、自分の存在を忘れられたまま、一人後部座席で砂を吐きそうになったのは、言うまでもない。







2008.11.22


背景は崖の上からではなく飛行機の上からのものを借りてきました。