いつくしむ



 

九 
 
 
「いつくしむ 卓也 エピローグ」
 
卓也は既にアートカフェの重要な位置にいた。彼はかえってその力をこの場で十分に発揮した。英嗣にやりたい事を色々提案しては、形にしていった。

「オレ、昔、英嗣さんに、コーヒーに絵を描いている場合じゃないって言いましたけど、今はすごくいいと思っています。だって、消えてしまう絵なのに、みんな毎日すごく喜ぶから。きっと、記憶には十分残っているんだと思うんです。どんなに綺麗な絵を描けても、友人の展示会を見に行っても、記憶に残る絵って意外と少ないと思って」

パンケーキの上にチョコレートペンで描きながら、卓也は横に立っていた英嗣に言った。ふぅ、と、一息ついた卓也は、顔を上げて背中を伸ばした。

英嗣は横でただ少し微笑むだけ。でも卓也にとっては、英嗣の笑顔が見られて驚き、再度絵を描き始めて少し手元が狂い、線がよれた。

「あ〜・・・オレはすぐに油断するし、まだまだですね〜・・・線は自分を表すってホントそう思います」

「フルーツ乗せればわからないよ」

英嗣が冷凍フルーツを冷蔵庫へ取りに行って、赤いラズベリーを隠したい所に一つ置いた。あとはお皿の上にブルーベリーやラズベリーを花のように散らせた。そして生クリームで、一つ花を描いて、シルバーとピンクのキラキラと輝く砂糖のトッピングを指でつまんで散らした。

英嗣の手際の良さを見ていた卓也が、はっと思い出したように最後に、「Happy Birthday」と、チョコレートペンで皿の淵に文字を入れた。

予約カップルの彼氏にサプライズでと頼まれたプレート。誕生日の花束の絵が描かれたパンケーキは、普段より美味しそうに彩られて、とても豪華になった。

「トッピングとか、誕生日だから特別って言って持って行ってあげて」

「ありがとうございます」

「今度から誕生日だって言われたら、プレゼントトッピング、これにしてもいいね」

卓也は絵を失敗したのに、そのおかげで新たに店に貢献ができるかと思うと、嬉しそうにそれを手に取った。

卓也は最難関の芸術大学に入るため、誰よりも抜きんでる事、絵を美しく綺麗に描き見せること、入ってからも、目を引くような絵を描くこと、人と比べる事。そんな事をばかりを繰り返し考えて生きてきた。けれど、なんでも器用にできてしまう天才の英嗣を見ていて、そんな小手先の技術など、風のように吹き飛んだ。そういえば、普通の学校にはある首席という制度が無い。元々芸術は人それぞれの好みと価値があって、順位を付けられ比べられるものではないと英嗣は言った。展覧会で金色の帯や賞の名前がつくことを目指して描いていた事がばからしくなったし、誰もかれも批評し、卓也をいつもバカにした友人とは距離を置くようになった。

「評論は気にするな。評論家の銅像などない」「たとえ百人の専門家が、あなたには才能がないと言ったとしてもその人たち全員が間違っているのかもしれない」「とにかく作ることだ」

二階の、美術談話席の一席一席に、ひっそりと英語で書かれて貼ってある。それは沢山の有名な芸術家たちが残した言葉だと、英嗣に聞いてあとから知った。談義に対して暗に行き過ぎを忠告しているのかもしれない。

嫉妬する気すら起こらない程の最高の才能をこの店であまりに沢山、目の前にした。

素晴らしい一級品にいつも触れているせいで、学校中の誰の作品にも羨ましくて嫉妬する事も無くなり、他人の作るものも素直に褒める事ができるようになった。そうすると、かえって自分の創り出すものも、レベルが上がったのか、学校での講師の評価も高くなった。すると、目立つものではなくて、英嗣と同じように、描きたいものを描くようになった。評価を得たいと思っていた時には全く得られず、誰かの称賛など得なくてもいいから、とにかく描きたいと思った時の方が評価を得られるなんて。

昔英嗣が、他人との能力を比べ合う事にはさして意味が無いような事を言っていた事が、ようやく少しずつ分かりかけていった。

最も良いもの、とは、最も皆が創り出したかった世界。このカフェでさえ。最も良い環境に身を置いたと、思った。

この店の中にいると、芸術とはこの目に見える世界の全てだと思った。

英嗣の芸術的なセンスは、別に絵だけに費やされている訳ではない気がした。

入口から、カップまで、どれをとっても、全てが一級の芸術品だと思う。

寄贈品も沢山ある。芸術大学出身の暦年の有名作家のものがたくさん置いてあるし、カップも、有名作家のカップや人間国宝の作ったカップも多くて、割れないものばかり。それだけで、店は殆ど美術館のような世界を醸し出している。でもそれを普段使いのカップにするのは、生きた芸術にできるだけ触れてもらうためだと、英嗣は言っていた。置物の人間国宝のカップはとても美しいけれど、誰かが喜ぶ顔を見るために使うカップはもっと美しい、と。

きっと、作り手は、評価を得るためではなくて、どうしても作りたかったから作り、見てほしくて使ってほしくて置いていったのだろうと思う。



卓也が働く間に、英嗣の事を好きになり、たくさんの事を知った。

佐保を死ぬほど愛していること。芸術は嫌いではないけれど、大学の仲間のようなどっぷりという深い関わりあい方をしていないこと。その理由が、有名な画家の曽祖父、陶芸家の祖父、画家の父親と、歴代のうらやむような家系にあるようだという事。でも、絵を描くことや芸術をする事が嫌いだという訳ではなくて、本人は自然に生きることで十分表現していると思っていること。今、筆や鉛筆を持って絵を描く対象が、殆ど佐保だということ。佐保の絵が二階の英嗣のストック場には山ほどあること。

そして、佐保も時々英嗣の絵を描く事。その絵が、英嗣が描く絵よりもさらに繊細で美しいという事。佐保の描く英嗣の絵と、英嗣の描く佐保の絵が欲しくて、何年買いたいとねだっても、佐保も英嗣も、全く首を縦に振らないこと。

佐保が絵を描くのは趣味だからで、時々しか絵を描かずに、好きな貼り絵ばかり作って売っていること。佐保のその才能にも、英嗣は最大限に惚れこんでいるということ。

もはや、英嗣と佐保の間に自分が入り込む隙など一切ないのに、英嗣を好きだったこと。

それを英嗣も知っている。

二人で飲みに行って、酔った勢いで告白しても、英嗣は男に言われても特段驚いた様子もなく、ありがとう、ごめんねオレは佐保だけだから、と、声は優しいのに殆ど表情を変えずに返事をした。言う前も、言った後も、全く態度が変わらない。いつもの英嗣だった。

そう言われて、不思議な事に、全く落ち込まなかった。だから、本当に好きだったのだろうか、失恋、なんだろうか、と、思った。自分が好きだと思っていた英嗣は、多分、誰をも魅了するような雰囲気や、十分な程のセンスへのあこがれ、英嗣それ自体の稀有な芸術作品込みだったのかもしれないと思った。佐保を好きな英嗣が好きだった。

だから、英嗣の日々の消えてしまう作品に最も近くで触れられるここで、卓也はできる限り働いていようと思った。料理は毎日の芸術だと思った。色々な事を学んだ。

それでもいつかはここを卒業して、自分の世界を創り出す日が来るのだろう。

「英嗣さん、特別なパンケーキ、すごく、よろこんでくれましたよ」

卓也はサーブを終えて戻り、英嗣に伝えた。

英嗣は先ほどの誕生日用パンケーキの絵をレシピアイデアとしてさらりと絵に描き上げていた。なんて美しい走り描きかと思ってしまう。それをそのまま売ってほしいといつも思う。

「よかったね、卓也君の絵が良かったからだよ。卓也君はいつも何か新しい料理とか変化を生み出す才能があるよね。料理とか、スイーツとか。新しいもの考えるのもすごく得意だしね。そういうのをアーティストっていうんじゃないかな」

「え、嘘じゃないですよね、ありがとうございます。なんかオレすげえ嬉しいかも」

ついまだ、誰かに才能があると言われると、心の中で嬉しく思ってしまうこと。

にこり、と、一度だけ笑った英嗣の顔は、やっぱり特別で好きだな、と、思ってしまうこと。

英嗣が手元で、ラテにハートの絵を描いている。

それが誰の元に行くのか、すぐにわかる。

必ず自らカウンターを越えて、届けに行く事。

「一息入れるといいよ」

英嗣が唯一、最もいい顔をする瞬間。

卓也は、フロアに持ち込みが禁止されている携帯電話をこっそり取り出して、その画を撮った。

 
次の絵を、描くために。

 
【卓也 完】
 
 
 
 
撮り終わると、拍手とともに、お疲れ様でしたーという声が響いた。

ざわざわする撮影場の中で、挨拶をしようと卓也であるユウトは蓮を探した。

蓮が、キッチンから帰ってこなくて、ユウトは蓮の横へ行った。

パンダの絵をラテの上に描いている。

「お疲れさまでした。ありがとうございました、敦賀さん」

「お疲れ様、ありがとう、こちらこそ」

「あ、それ、パンダ、ですよね?」

撮り終えたのに作り続けている蓮に、英嗣は不思議そうに声をかけた。

「うん」

蓮は英嗣のままの笑顔で、ユウトに、にこり、と、笑いかけた。

「うわ〜やばいっす。オレ、卓也入れ込んでやりすぎました。敦賀さんがその英嗣の特別な笑顔で笑うと、オレ、敦賀さんの事すげえ好きって思いますもん。いやマジでやばいです」

「それならオレもきちんと仕事できたかな」

蓮はまた英嗣と同じように穏やかに笑って、答えた。蓮がしたい仕事の相手はいつもそういう役に入り込む程の相手だ。

「それ、オレも飲みたいです」

ユウトがそう言うと、いいよ、と、言って、蓮はユウトに渡した。

そして、新たにもう一つ、作り出した。

「ん?誰かに?だったんですか?」

「うん、最上さんが、前にパンダの絵のが飲みたいって言っていたから」

「そうなんですね〜。あ、やっぱりうまいです」

ユウトは唇についた泡のミルクを舌先で舐めながら言った。

すると、今度は、少し違うパンダを作っていた。泡が立体的にカップに盛られて、まるでパンダがカップに座っているように、チョコレートソースでパンダの黒い模様を入れていった。

「それ!なんですか?すごいですね」

「最近インターネット見ていたら、3Dラテアートっていって、立体的に作るのも流行っているっていうから。ミルクをこうして乗せて固めるってどうするのか分からなかったから、聞いてもらって。こうして色も入れていくと、ちょっとしたゲイジュツぽくなるかな、って」

蓮はさらにパンダの足元に、ミルクを足して、ペンでおつかれさま、と、描いた。
蓮はまるで当たり前の何事でもないかのようにさらりと言い、置いてくるね、とユウトに言った。そして作ったそれを置きにキョーコの元へ向かった。

「どうぞ、お嬢さん。お疲れ様」

キョーコは手元にあったハートのカフェラテの写真を記念に撮っていた。

「わあ!何これすごい可愛いです、敦賀さん!」

とてもとても嬉しそうにそう言ったキョーコに、蓮は、やはり英嗣と同じように、にこり、と、笑いかけた。

スタッフも、共演者も皆がそれを見に近寄った。しばらく可愛いと言いながら眺めて、キョーコはそのカップも写真に収めていた。

そして、テーブルの上にあったハートのカップを手にして、

「これはオレが飲むよ」

と言って口をつけた。多分、ハートの絵の方が、パンダの絵のカップより少し時間が経って冷めていたからだと、ユウトは思った。

元々作っていた自分が手元で飲んでいるパンダのカップは、佐保のためだったのではなかったのだろうか?それが卓也に行ったから、卓也と佐保を同じになどしたくないと、急遽変えたのだろうか?もともと卓也用には、おつかれさまと書かなかったのに。

全ては佐保のため。英嗣らしいというか、共演者キラーと噂で聞く敦賀蓮らしいというか。

そんな様子を、ユウトは、ポケットにあった携帯電話を取り出して、写真で納めた。

多分、卓也はこの場にいる限り、永遠に同じ距離で彼らの同じ風景を見ながら、仕事をする。

きっと今は店が終了したあとのいつもの風景で、だから、これが自分の、卓也としての風景。
 
ドラマの放映と同時に、テレビ局内で行われる予定の、作品展。
自らの手でできる事が求められるこのドラマで、全員が、何かしらの工芸、絵、作品、をできる限り創る事が課題になっている。
 
だから、ユウトは、先ほどの写真を見返しながら、佐保を見て微笑む英嗣と、ラテの絵を見て喜ぶ佐保、それが卓也の毎日見る日常としての風景、これが絵のモチーフになりそうだな、と、思った。あとは、五番席の叫びの絵が描かれたラテのマグカップの絵、かな、と。
 
結局、蓮とキョーコの周りで、皆がパンダを飲みたいと言い、蓮は何個もそれを作って、撮影用に沢山焼いてあったパンケーキが勿体ないからと、ユウトがチョコレートペンで絵を描いて、皆でつまみ合う、軽い打ち上げのような時間になった。

ユウトが、蓮に言った。

「次は、英嗣と佐保ですね」

「そうだね」

「やばいっすよね、次のクール」

「何がやばいの?」

「今度はオレが店の風景になる番なんでオレは気が楽なんですけど。いや、なんかほら、色々、照れるじゃないですか。オレはなんか、才能に悩むみたいな話でしたけど、英嗣と佐保は恋愛の話ですし」

「そうかな?」

普通だと言わんばかりに蓮はユウトに言った。

「さすが敦賀さん。恋愛ドラマも多いですもんね」

「いや、まあ、そうだね、がんばるよ」

蓮は少しだけ引いた苦笑いのような笑みを浮かべてユウトに笑いかけた。

いつもあまり変わらないペースの敦賀蓮にしては珍しい反応だなあと思いながら、不思議な気持ちでユウトは蓮を見つめた。
 
 
 


 







 







2019.2.24