いつくしむ



 
 

 
 
 
次の日の朝、キョーコは蓮のノックの音で目が覚めた。

殆ど眠れない中で、朝方うとうとして、そして気づいたら寝ていて、起きられなかった。

ふと時計を見ると七時。

ドアを開けると、蓮が立っていた。

「おはよう」

「おはよう、英嗣さん」

キョーコはドアを開けて、パジャマのまま出ていく。

キョーコとしては会いにくく感じて、英嗣さん、と、呼びかけた。

だから蓮は、佐保として扱った。

「いい感じの寝ぐせ」

蓮はキョーコの髪を何度か撫でて、

「直そう」

と言った。

「うん・・・」

蓮のあとについていき、洗面台で顔を洗う。

歯を磨いている間に、蓮はキョーコの髪をとかし、直し始めた。

そんな事も英嗣の仕事なのだろうか?

原作にそんな描写があっただろうか。

後ろからいつも見ているから、後姿だけはよく知っているのかもしれない。

二人は師である英嗣の父親の家で一緒に暮らしてきている。

そうされるのも当然なのかもしれない。

「ありがとう」

そう言うのが精いっぱい。

鏡越しに、蓮がキョーコを見つめる目は、朝からとてもとても、信じられないぐらい優しい。

ふと見て、目を逸らした。

見てはいけないものを見た気がした。

愛しくて、仕方ない、みたいな顔。

困ってしまう。

すると、ぎゅ、と、髪先を少しだけ蓮が引っ張った。

「いたい」

何をするのと抗議をしようと後ろを振り向くと、蓮は、冷めた目をしていて、今までしていたあまりにやさしい目はしていなかった。

「佐保、目を覚ましたら?」

それは、キョーコが佐保として目を覚ませ、という事だろう。

本来ならそのような甘い英嗣の視線さえ、佐保は本来当たり前に受け止め慣れているはずなのに、照れてついキョーコが出てくる。


「うん・・・ごめんなさい、昨日、眠れなくて」

「どうして?」

「・・・英嗣さんがいけないんですよ」

「オレのせい?」

「そうです。これ」

少しパジャマをずらして、肩先を出す。

肩先についた赤い色。キョーコの肌に、蓮も、どきり、とした。

朝見せられると、妙に色っぽく感じるのはどうしてだろう。

自ら付けた、赤い色。

「君も望んでた」

「望んでません!」

佐保は赤面しながら蓮の横をすり抜けようとする。

蓮がキョーコの腰に腕を回してそれを止めた。

「無くなったらまた描く。佐保はオレのものだから」

英嗣はいつも一度きりの、この世に残らない、無くなる絵ばかり描きたがる。

「・・・・触りすぎたら」

「わかってる。あと、少し」

「もうすぐなのに」

「死ぬほど長い」

蓮はキョーコの髪を一束手に取ると、そこに口づけた。

そこに神経が通っているかのように、キョーコはどきり、とした。

唇の感触がする訳でもないのに。

「今日もし時間があるなら、また描こう。午後は出かけよう。夜は部屋で描いたり休んだりしたい。もうすぐ許可が下りる日が来たら、何日か休みを取ろう」

「えっ・・・」

「四六時中、一緒にいたい。いっぱい触りたい」

「・・・・朝からもう」

蓮はまた後ろから佐保を抱きしめる。

肩先にまた唇を寄せる。

昨日より首寄り。

「やっ・・・」

「見えないよ」

後ろから、と言ったら、蓮はキョーコの耳たぶに口づけて、そのまま耳に吹き込むように話す。

まるでキスをされているように鏡に映っている。

くすぐったくて、心臓は、かえって早鐘を打つ。

鏡に映った自分の顔を見てまた、目を逸らした。

あなたが好き、と、キョーコの顔は、伝えていた。

蓮は、鏡をちらりと見た。

「可愛い・・」

ちゅ、と、音を立てて蓮はキョーコの肌を吸い上げた。
 


 
*****



 
 
午前九時。

蓮は社長室に寄った。

「・・・よお。お前一人か」

「今日は休みなので。最上さんと一緒です。彼女は部室にいて、オレを待っています」

蓮がそう言ってソファに腰を下ろすとすぐに、社長は先を促した。

「で?」

「一つ許可が欲しいんです」

「何の?」

「そろそろ、幸せになる覚悟と幸せにする覚悟を決めようかと思って」

「・・・お前と相手次第だろ」

「・・・相手の許可は下りていませんが、相手を得る許可を得ておかねば。会社の損失になるようなら諦めます」

「オレが諦めろと、言ったら、諦められる訳じゃねえんだろ。お前がいう恋愛というやつはそんなもんなのか。そんな許可を得るような熱量なら相手が可哀想だからやめとけ。どうせうまくいかない」

「オレはもう十分待ったし、良いと思っているんです。でも・・・社長から見てそうでないなら、今はまだ、彼女を得たいと望んでいいタイミングではないとは思ったんです。熱量というのが、一般的な量があるかどうかわかりません」

「一つ言っておくと、お前が知らない所で、彼女は山ほど男から言い寄られてる。世間が言う中では、お前より芸歴が長くて、人気があって、優しくて、誠実で、顔のいい男がいない訳でもない。お前と同じで望めば簡単に女の子を誰でも持っていけるような男だ。普通の子ならあっという間にヤツの腕の中だっただろうに。もしかしたらもう好きになっているかもしれないなあ」

社長は蓮なんて足元にも及ばないとでも言いたげにそう言って、やきもちでも焼くかと、ちらりと蓮の様子を眺めた。

蓮の表情は全く変わらない。

「昨日の夜の彼女の件は、そんな話だったんですか」

「いや?これは前に社内報告で聞いた」

「では・・・」

「・・・お前がもしかしたら何か恋愛にトラウマがあって、英嗣が出来なくなるといけないとか、しばらく一緒にお前の自宅で絵を描いたりする事もある関係で、万が一、一緒に帰宅したりして撮られたら、会社として対処してもらえないか、という、心配の電話だよ。言ってたぞお・・・恋愛経験が多いとはいえ、もしかして純粋な恋愛が得意ではなくて悩んでんじゃねえかって」

社長は心底面白そうに、にやあ、と笑って言った。

恋愛が下手と言われたも同然だと蓮は思った。

「悩んではいませんよ。英嗣は佐保に愛されている事を知っているから敦賀蓮よりかは理性が軽い位で。何ですか恋愛経験が多いとか純粋な恋愛に悩むとか」

蓮は心外だというような顔をした。


――最上さんは「敦賀蓮」という男を一体どういう目で見ているのだろう。
 
――恋愛経験は多いのに純粋な恋愛に悩むとか。


「彼女は普通に心配をしているだけで、お前が下手だとか言っている訳じゃない。で。お前彼女に何をした」

「・・・別に何も」

「・・・してないって顔でもないな。あの子もお前の様子が変だと言った。まあ、佐保もあの子も今すごく可愛い。ファンも多い。それは理解する。でも英嗣は理性をギリギリまで働かせるんだろ。そこんとこ言ってんじゃねえのか?純情な彼女に手を出しすぎて、本当に彼女を得る前に嫌がられて得られなくなったらどうする」

それを心配して、今の今まで、待ってきた。

だから、手出しができなかった。

でも、もう、得たいと願った。

だからここに来た。

「・・・・だから、幸せになる許可を得たいと。彼女は、『オレが彼女へ』何か気持ちを持っているとは全く思っていないんです。昨日、好きだと言い、抱きしめて、口づけてさえ、彼女には何も通じなかったんです」

「・・・・かわいそうになあ。好きでもねえ男に夜中その男の部屋でキスされる女の子の気持ちなんぞお前には全然分からねえんだろうなあ・・・。あの子はそんな時間に男の部屋にいた自分が悪いと思うだろうなあ。お前はほとんど拒否されたことが無いだろうから分からんだろう。ああ本当に怖かったに違いない」

社長は少々大げさに言って、目を少しだけ細めて鋭い視線だけ蓮に向けた。

「オレが、怖かった、んですか・・・?彼女がそう言いましたか・・・?」

蓮は少しパニックになったように瞳を揺らして、手を額に置いた。

やっぱり分かってねえな、と、社長は、ため息をつくかわりに、手にしていた葉巻の煙を口いっぱいに溜めて、大げさに大きく吐き出した。


「・・・・さあな。真意は本人に聞いてみたらいい。彼女はそれをお前が仕事にのめりこみすぎて現実と区別が付かなくなって目の前にいる彼女へ乱心を起こしたか、それが佐保としての仕事だと思ったからオレに許可を得に電話が来たんだろ。お前にある程度手を出されることを許可してくれなんて、女の子に言わせんじゃねえよ。仕事にしなければ自分の気持ちが保てねぇ程には涙声だったぞ。犯された後の女の子のような声だったからな。別に実際やってはねえんだろ?」

社長は嫌みを言い、煙を含ませて、また大げさに吐き出した。

涙声だったのは嘘ではない。

キョーコは、佐保として受け止めているのに、それでも、英嗣と佐保が完全な幻想だと知っているのに、蓮にまるで愛されているように大事に触れられると、それでさえ最上キョーコとして心が喜んでそれを受け止めてしまう、と、泣いた。

キョーコの気持ちを蓮に伝えてやるつもりもない。

だから、もしキョーコが何も蓮への気持ちが無いのにも関わらず、蓮にあれこれされた時の女の子の気持ちを多少代弁したに過ぎない。社長の場合は「多少」が「非常に大げさに」、ではあるが・・・。

蓮は、しばらくの間頭の中がさらにパニックになり、混乱しているようだった。

次の言葉を発するのに一分はかかった。

「そう、ですか・・・。すぐに謝罪はしたんですが・・・。もう一度話します。オレが、敦賀蓮のまま口にしたのでは彼女には嘘だと思われたんでしょう。敦賀蓮の立場の保身をしたままで、オレの本心が言っても、彼女は分からないんだと思うんです。彼女を幸せにしたいと思って・・・彼女を幸せにするには、自分も幸せになる覚悟を決めなければと思ったから、今日、ここに来たんですが・・・。それから・・・」

「・・・謝罪するような事をしたお前が悪い。彼女も佐保が出来なくなるんじゃ困る。それに英嗣は、喉が限界まで渇くような恋、なんだろ」

蓮は、はい、とだけ答えた。

恋愛に関しては何も言えることは無い。

自分の判断が本当に正しいのかどうかさえ分からない。

思わず抱きしめて口づけてしまったこと、肩先にキスしたこと、後ろから抱きしめたこと。

その時々、拒否はされていなかったように感じたこと。

寧ろ、抱きしめた彼女の体は、もっと、と、望んでいたように思ったこと。

全てが、仕事、だったのだろうか。

心臓や雰囲気、肌、温度、照れて赤くなった頬と耳、手、指先、息づかい、唇、舌先・・・そんなことも、彼女は仕事ならば、まるで自分を本当に好きだと思っているがごとく、コントロールできるようになっていたのだろうか・・・。















 



 







2019.2.14