いつくしむ



 


 

十二
 
 

撮影後、帰宅時に、社はキョーコと蓮に言った。

「キョーコちゃん、今が一番大事な時だから、どんなに部屋の中で愛し合っていても、責任が取れない事だけはしないで」

キョーコは目の前をグルグルさせているし、蓮は涼しい顔で、前に聞いた、位の様子でいた。

「蓮、キョーコちゃんは、女の子だから」

「わかってますよ」

蓮は全く感情が読み取れない返事をした。
だから、社はそれ以上の事を言わなかった。
社長からも言われているだろうし、キョーコが横にいる。

「心配はしてないけどさ。でも、一応、ね?」

社はキョーコにフォローを入れるように伝えた。

「はい、ありがとうございます、ご心配下さって」

真っ赤な顔でキョーコは言った。

「蓮、キョーコちゃん、オレはいつでもどっちの味方でもあるからね?だから、何かあったら言って。もしキョーコちゃんが蓮に言えない事があるなら聞くし、蓮がキョーコちゃんには言いにくい事があるなら聞くから。だから、今回の仕事、頑張ろう」

「ありがとう、ございます」

キョーコは素直に社に言った。蓮は、ふぅ、と、息を吐きだすだけだった。何かあるとしたら自分が手を出すとかそれ位ではないだろうか。

そんな事を思った。
 
 
*****
 
 
「今度、佐保として、絵のモデルの場面を撮るのが少し、緊張します」

珍しくキョーコが口にした。普段あまり仕事の事を口にすることは無いのに、珍しい。でも蓮もそれは理解できる気がした。

「そうだね・・・ギリギリでオレが止めるけど」

英嗣がヌードモデルをしようとする佐保を見て激高する場面だ。父親の主催する教室の別のクラスで、佐保はモデルが来ないから代わりにヌードモデルを引き受けた場面で、英嗣が佐保を連れ出してしまう。

「いつも美術館とか行くと思うのですけど、なんで、ゲイジュツっていう絵を描く人たちは、ヌードを描写する必要があるんでしょうね。だって何も着ていないんですよ?モデルの人だって、その・・・寒かったり、女性的な体調の事だって色々あるのに・・・。動けない女性の前に、男の人が近寄ってありとあらゆる場所をのぞかれたら嫌悪以外の何物でもないんですけど・・・。実際近寄って見る人もいますよね?男の人ってそれらを見ながら何とも思わずに描ける人なんているんでしょうか?」

蓮は苦笑いを浮かべた。

「オレは絵描きじゃないから分からないけど・・・。原作で英嗣が言うには、歴史的な惰性っていうのと、時々は絵の役に立つとかって言ってたね・・・。どこまで無感情の物扱いで描けるのか分からないけど・・・。でも、英嗣は、ほかの子を描く分には本当に何とも思わないのに、佐保の時はまるで虐待かのように耐えられない。佐保は、そんな風に誰かの女の子の全てを描く英嗣を見ていて、すごく美しい絵だと思いながら、でも一人の女性としては嫉妬すると言うか嫌だなと思っているよね、確か」

「そうです。嫌です。綺麗に描いても嫌で、かといって手を抜く英嗣さんなんて想像もできないから、隅々まで誰かの体を見つめるのも嫌なんです。しかも沢山のモデルさんに何度でも言い寄られるし、佐保は非常に邪魔扱いされますし」

「でも、時々家にモデルが来るし、英嗣の家には育ててもらったという恩もあるから、英嗣の父親を助けるためだったらとモデルを引き受ける」

「そうです、助けられるならって」

「英嗣が何も表情を変えずに絵を描くのであれば、そういったモデルは当たり前で、別に何ともない事なんだ、と、佐保は学ぶというか思い込むんだけど・・・」

「佐保ちゃん、真面目だし、英嗣さんには恩返ししたいし」

「だから佐保は単純に覚悟を決めた仕事なんだけど、英嗣にとっては、それが当たり前ではなくて、実はとてもひどい行為だったと思うきっかけでもある。だから当たり前で疑いもなく続ける事を指して惰性、と言ったのだと思うけど・・・。元々佐保を守るのは自分だと思ってきたけれど、そんな事をさせまいと佐保を一人の大人として守るのは自分だと思うきっかけの一つだね。英嗣は佐保の絵はたくさん描くけど、ヌードだけは描けない」

蓮は笑った。

「描けないでいてくれてよかったです。嫌です。十年待つという間に、そんな絵ばかり残されたら」

「いや?本当はたくさん描いておきたいし、残しておきたいとは思っているよ。でも佐保を物としては見られないし、男として我慢ができなくなるから、だろう?だからそもそもの君の疑問はある意味で正しい。英嗣は確かに佐保だけは何も思わず描けないから。美しい、可愛い、触りたい、そんな感じ」

「・・・・もう」

蓮はさらりと言って、キョーコは顔を赤くした。
 
 
英嗣として蓮は下絵を描き続けて、キョーコも佐保として絵を描き続けた。
殆ど会話が無かった。静かな時間が流れた。
時々蓮が、うーん、と言いながら、全体を見るように離れて見たりしていた。

「そろそろ」

「ん?」

「時間なので、帰ります」

「送るよ?」

「いえ」

「ダメです、佐保さん。英嗣ならどうすると思う?」

「絶対に、部屋の前まで送りますね。毎日、佐保の部屋の方の玄関の内側で、その・・・」

キスをして、別れる。

「だろう?」

「でも敦賀さんは英嗣さんじゃないんですから、気にしないでください。もう、私、子供じゃないんですから」

「・・・やだ」

「えええ・・・」

蓮の言葉に押し切られるように、結局毎日蓮の車で、下宿先まで帰る。

キョーコは、蓮との日々はもちろん嬉しくて、嫌ではなかった。それでもまるで恋人同士のようなそれが毎日続くのは、やはりいけないのではないかと思った。だから絵も、自宅で描こうと思うとキョーコは蓮に打診したけれど、蓮はそれも嫌だと言った。


それから、蓮は、あれ以来、一切キョーコには触れなかった。


英嗣と、佐保の台詞を試しに読み合わせてさらった時に少し台本通りに髪に触れた位で、殆ど、英嗣として過ごしていても、何もなかった。肩口にあった蓮の付けた痕も、綺麗になくなった。


そもそもそれが本来の事だと言うのに、驚くほど、何もない事がとても不思議だった。


やっぱり、蓮が自分に触れて止められなかったのは、ただの気の迷いで、社さんに少したしなめられたら我に返ったのだわ、と、キョーコは思った。英嗣の前で佐保を演じ続けるのは、緊張はするけれど、警戒はしていない。例え「何か」があったとしても別に構わない。


でも、蓮との間は、変わらず何も無かった。
 


 
*****


 
 
ある日、気づくと、キョーコはそこで眠っていたらしく、ソファの上に移動されていて、ゲストルームのベッド用の上掛けがかけられていた。


次の日がオフだから、できるだけ描いてしまいたくて描いていたはずなのに。いつの間に横になり、いつの間に移動したのか、分からなかった。


時計は夜中の二時すぎを指していた。


「・・・英嗣さん、寝てしまって。ごめんなさい」


「風邪をひくといけないし体も痛いと思ってソファに移動したよ」


「ありがとう、ございます。重たくなかったですか?起こしてくださればよかったのに」


「大丈夫」


蓮は少しだけ笑った。
 
 
「少しキッチンお借りします」


キョーコは、キッチンを借りて、蓮が作るように少し練習して、コーヒーを淹れて、ミルクを泡立てて、パンダを作って絵を描いた。でも、ミルクの形が少し崩れて、何かのキャラクターのようになった。


「この時間にはいけないのかもしれませんが。英嗣さんの真似です」


「ありがとう。すごいね。卓也君みたいだ」


「和菓子も最近は粘土みたいに何でも色を付けて形を模して作りますよね、この間の夏なんて、金魚とか、見ました」


「すごいよね、あれ。ゼリーの中に水槽みたいに作ってみたり。この間テレビの収録で今の流行りのお店のゼリー少し食べたよ」


蓮はキョーコの作ったミルクの泡をスプーンですくって口に運んだ。


「そうそう、オレ、君が寝てる所描いた。ごめん。絶対英嗣なら描きたいはずだと思って」


蓮は眠る顔を見る特権を急に得てしまって、英嗣なら絶対に描くだろうと思って、描き始めて、触ってはいけないと思いながら描くために少し髪を整えるために触れた。


「ごめん、実は、寝ている時に、描くにあたって髪を少し直すのに、触った」

「大丈夫、です。英嗣さんが私の嫌なこと、するはずが無いですから」

「信頼、されているんだね」

「そうです。英嗣さんだけは信じているんです」


キョーコは笑う。

蓮はコーヒーを口にして、「おいしい」と、英嗣らしい穏やかな笑顔で言った。

「ありがとう、ございます」

「佐保はコーヒー淹れるのも上手だね」

にこり、と、キョーコは笑った。自分なら照れてそんな事無いとでも言いそうなところだったけれど、佐保は英嗣のほめ言葉も愛情も受け止め慣れている。

「あの、敦賀さん。急に佐保から自分に戻って申し訳ありませんが・・・。今日の朝からのご予定は、その」

「ああ、うん、あのね、午前中はオフだけど、夕方に、テンさんの所予約してあるんだ。大学生の英嗣のために髪の色を変えに行ってくる予定。ど派手な金色、だっけ、にしてくるよ」

「金色・・・」


キョーコは少しどきりとした。蓮の金色の髪を見たら、絶対に描きたくなるだろう。人形だって作りたくなる。でも、金色といっても沢山の色がある。少しけばけばしい色から、あの記憶に残る美しい金色まで。どのような色に変わってくるのかは分からないけれど・・・それでも記憶の中の人物の雰囲気には必ず似るだろう。


佐保は、その髪の色が変わった顔も、眺めていい特権が、今だけは、ある。


「楽しみです・・・」


キョーコは半分妄想と想像の世界から蓮に告げた。

「・・・その顔は何?」

「いえ・・・すごい見たいなあって。佐保ちゃんだったら、もう、すごい描きたいだろうなって思うんですけど」

「佐保はでも、この髪の色に変えてから、英嗣を結構疑うよね。大学にお忍びで見に来て、場所も分からないし困っているから、気安くいろんな男に声かけられて、困ってる所で英嗣に会うのに」

「そうですね、珍しくとても心配されて」

「その日は我慢できなくなって約束を破る限界ぎりぎりまで君を腕にしようとして。そんな場面も撮るね」

「・・・もうその場面どうしましょう。私は、驚いて困っているだけなので、もう、ここばかりは敦賀さんにお任せします・・・」

キョーコは困ったように笑った。

蓮も、笑った。

「オレが理性を失う場面だからね。どうなるのかな。大事にしている佐保をめちゃくちゃにしたくなる衝動に駆られるって。ちょっと自分でもどうなるのか怖いかも。初めてこのドラマの中で佐保に手を出してしまう所だし」

蓮は、うーん、と言いながら上を見上げて、その場面を少し想像したようだった。

「どうなるんでしょうね・・・。英嗣さんに大学に行った本当の理由を伝えて、何とか我に返ってもらうの、うまくできるんでしょうか?恥ずかしくて困ってしまうでしょうか?敦賀さんに勝てるでしょうか?」

ふふ、と、キョーコは少し笑った。

「オレがそもそもこの色にしたのは単純に周りに個性的な人間がとても多いから興味だけだったし、十年も待つっていうのとどこか投げやりな気分でなんだけど。そんなどこか精神的に荒れた英嗣を佐保が見たことが無くて佐保が不安定になって・・・」

英嗣が大学に入り、派手な金色の髪になった事を、なぜそうなったのか、全く理解できなかった佐保は、大学に英嗣を見に行く。

もしかしたら、大学に新しい大事な人が出来たのではないかと、初めて佐保は英嗣との恋愛について改めて心配するようになる。

「・・・描けないの、残念、です・・・」

「なんで?」

蓮は妙に冷たく言った。

「え?」

「なんで金色の髪のオレを描けないと嫌なの?」

「・・・・」

記憶に残るコーンが描きたい、というのは、佐保ではなく、キョーコの方だ。

「もちろん、英嗣さんなら全部描いて残しておきたいという佐保の気持ち、です」

「そうなんだ?」


蓮はまるで怒っているかのように、なぜそんなに冷たい言い方をするのだろう。

キョーコには、全く理解できなかった。

「なぜ・・・怒って・・・いらっしゃる、ので、しょうか」

「・・・君は金色の髪の男の方が好きなの?」

「え?」

「君の中の人、の、小さいころから一緒だった幼馴染、とか、みたいな。オレの色より金色の髪のオレの方が興味ある?」

蓮は冷たく言った。
 
――不機嫌な理由はアイツの事、なのだろうか?
 
「は?え?いいえ?」

「じゃあなんで。ほかの男を思い出すんだろ?」

「・・・・・・」

コーンが敦賀さんと同じ顔だったからです、とは、言い辛い。もし少し成長したコーンを見る時も、もしかしたら今の蓮と同じ顔になるのではないかと、思うからだ。絵の中で残しておきたい。あの日、なぜ写真を一緒に撮らなかったのだろう。もしかしたら写らなかったかもしれないけれども・・・。

「オレは、君が好きだと言った」

「え?」

「嫉妬もすれば、やきもちも焼く。金色の髪のオレを見て、誰か別の男の顔を思い浮かべるの、やめてほしいと思っては、いけない?」

「・・・・あの」


蓮は、ずい、と、体をキョーコに寄せて近づいてきて、その顔をギリギリまで近づけた。

「好きだよ、最上さん」

「・・・・・・」

キョーコは目をパチパチさせて、蓮の言葉を何とか受け流そうとした。

でも、何かのスイッチの入った蓮は、キョーコのTシャツをぐい、と、指で押し広げて、肩先をまた出した。

「無い」

「消えましたよ。触られなかったので」

「触って欲しかった?」

「・・・・いえ?」

と言った瞬間に、蓮は噛みつくようにキョーコの肩先に唇を寄せた。まるで肩とキスをするように、肩に舌先を寄せた。

「・・・・っ」

声が、出ない。

舌先も唇も吐き出される息も、熱さが全然違う。一体なぜ急にこんなに。

「あの」

キョーコが戸惑いながらなんとか声を出す。

「英嗣、さん?」

蓮はわざわざ音を立てて、そこを舐めた。

蓮が離した唇の場所には、赤い鬱血が出来ていた。

蓮は、我慢できないようにキョーコを抱きしめた。

「他の男の顔なんか思い浮かべられるの、嫌だ。オレがどれだけ、抱き締めたいと思っているか、全然、分かってない」

「・・・・・」

触られないな、と、思っていたことを今伝えるべきか、我慢するべきか、キョーコはとても悩んだ。触られることに期待しているなんて、口が裂けても言ってはいけない気がした。今の蓮なら、簡単に自分の洋服は無くなり、ベッドの上になる。

「英嗣さん」

だから、キョーコは、蓮の頬に一度唇を寄せた。

「大好きですよ?どうしたんです?」

冷静さを取り戻してほしくてキョーコは出来るだけ慈愛を込めて言葉を発した。

「・・・他の男の話なんてしないで」

「していませんよ。英嗣さんが金色の髪でも、私は大好きですし、描きたいなって思っただけです。記念に」

「うん・・・」

どうやら、佐保であっても、大好き、と、伝えると、英嗣なのか蓮なのかは分からないけれども、その何かの感情は落ち着くと、キョーコは気づいた。

「大好きですよ」

だから、キョーコはもう一度言った。

蓮は、キョーコを抱きしめて、

「もう一度言って」

と、ねだった。

「大好き、ですよ?」

「・・・好きに、なりすぎると、本当に、心臓が痛むんだね。こんなこと、知らなかった」

蓮はキョーコの手を取って、蓮の胸の上のあたりにその手の平を置いた。

蓮の胸の痛みは手のひらからは勿論分からないけれど、苦しそうに悲しい顔をする蓮を見て、キョーコはいたたまれない気持ちになった。

「その、顔は、反則、です、英嗣さん」

今の自分を見る顔が、どんなに、佐保を愛しているのか、苦しいのか、切ないのか、全て表しているような気がして、蓮が愛するとは、こんな顔なのかと、正面から受け止めたキョーコも、また、驚くほど心臓が痛くなった。

「大好き」

その言葉を伝えると、更に、心臓は痛い。伝えているのは、佐保か、キョーコか。境界線など無いような気がした。


キョーコが蓮の手を取って、胸の上、鎖骨の間のあたりに蓮の手の平をぺたり、と、置いた。

蓮は、目を大きく見開いた。

「同じですよ?」

「うん・・・」

そして、蓮はその手を振りほどいた。

だから、キョーコの胸は、更に痛くなった。

英嗣が、佐保の腕を振りほどく事はまずないだろう。今振りほどいたのは、蓮の方だ。

大好きな人に、愛している人に、思い切り手を振りほどかれる。

こんなに悲しい事なのかと、知った。



好きな子でもないのに、そんな所触りたくない、いくら演技であっても迷惑だと、言われたように、キョーコは感じた。

 








 



 







 







2019.4.6