いつくしむ



 


十一
 


 
「京子ちゃーん!」

おはようございます、よろしくおねがいします、と言いながら、スタジオに入ったキョーコに、輪になっていた俳優たちから手招きがかかる。

「おはようございます!」

キョーコは正しいお辞儀をして、先輩や後輩に挨拶をした。

「これこれ!すごいじゃない!」

「え?」

声を発した女優の手元をキョーコがのぞき込むと、例のモデルをした海外雑誌。

「京子ちゃんが超かっこよくて超セクシーって話をしていたの。この間インターネットのシェアで画像が回ってきて見たよ」

「へ?シェア?あの?」

キョーコは、赤面する。

「脱いでいっているので下着姿は見ないでください」

「何言ってるの佐保ちゃーん。これもまたゲイジュツ、でしょ?だって、世界のエレじゃない。恥ずかしい事なんて何もない!」

「あの」

キョーコが少々戸惑っていると、蓮が入ってきて、おはようございます、と言いながら立ち止まり、軽く頭を下げた。

「敦賀さん、見てください!」

彼女は蓮にもキョーコのページを見せた。

「それオレも載っているから、この間見本誌貰って見たよ。きれいな作品だね」

蓮は涼しい顔でにっこりと笑った。

それを見たキョーコは、瞬時に、あ、拒絶の笑顔だ、と、思った。蓮が何を拒絶したのかキョーコには分からなかったけれども。

蓮はキョーコに、

「おはよう、今日からまたよろしくね」

と、何事も無いように声をかけた。

「おはようございます、こちらこそ、お願いします」

だから、キョーコはまた蓮にも、丁寧な、正しいお辞儀をした。笑顔で仕事に徹するために。蓮が拒絶をした事が何だったのか、知りたくはなかった。

蓮は台本を持って、

「話している所ごめん。来て早速で悪いんだけどちょっと今日の所で打ち合わせたい所があって」

そう言って、壁際を指さした。

「あ、はい。お願いします」

キョーコも蓮に続いた。

キョーコの横を歩いた社が、「キョーコちゃん、おはよう〜」と、いつもと変わらない笑顔でキョーコに挨拶をした。そして、少し声をひそめた。

「蓮がいて、良かったね」

「え?」

「キョーコちゃんが困っていたから助け船だろう?多分」

社がキョーコに耳打ちした。

「あ・・・・」

気を遣ってもらっていたらしい。何を蓮が拒絶したのか知りたくない方が先だったから、その意味まですぐに分からなかった。寧ろ礼を言わねばならない。

壁際に着くと蓮は台本を開けて、いくつか英嗣が佐保を呼んだ時に振り向くタイミングや、顔を上げるタイミングなどをキョーコに話した。普段は、リハーサルの際にする事だ。でも、英嗣から見た理想のタイミング像が蓮の中にあるのだろうとは思う。

それでもやはり、これは社の言う通り、蓮の気遣いなのだろう、と、思った。

「敦賀さん・・・(どうしよう何を言ったらいいかわからない・・・)」

「ん?」

「あ、あの・・・課題の絵、進んでいますか?」

「うーん、そうだね、こっちにおととい帰ってきたばっかりで、まだ下書き」

「下書き、先生に見て頂くんですか?」

「そうだね、着色の前に一度見てもらおうかな」

「・・・あの絵、ですか?」

「うん」

蓮はニコニコと答えた。

「あの絵って?」

と社が聞いたのを、キョーコが、

「いえ、その」

と濁した。

蓮も、また、涼しい顔をしている。

「分かったよ、出来上がったら聞くよ・・・」

社はしゅんとして、仲間に入れてもらえない事を悲しむような顔をした。


「社さん、に、言えない訳じゃ、ないんですけど」
「最上さんは、ちょっと恥ずかしいらしい」
「うぇっ」

社はそう言われて、瞬時に赤面した。

「多分、今の社さんの頭の中が一番恥ずかしい絵が描かれていると思うよ」

と蓮はおかしそうに笑った。

「もう」

キョーコはまた照れてうつむいた。

「蓮とキョーコちゃん、今回すごく役柄に合っているから、やりやすい?」

そうですね、と、蓮は肯定した。
キョーコは、少しだけ、はにかんだ。
佐保のように。


「そっか、じゃあ、きっといい仕事になるね」


社は、照れて火照った顔を冷ますように、手の平で顔をあおいだ。


「敦賀さん、今日、その下絵、見せてもらえませんか?私も先生に絵を見て頂きたくて、一緒に描いて置いていって、一瞬でもいいので、何かおかしくないか一緒に見て頂けたらなあって思っていまして・・・虫が良すぎますか?」

「ああ、うん、いいよ?来る?」

「できれば」

そう言った所で、社が、あ!と、声を上げた。


「そうだ、俺、蓮に言っとかなきゃいけない事があるんだった。ね?キョーコちゃん」
「ふぇっ・・・・あわわわ」


そう言った瞬間キョーコは慌てて顔を覆った。
蓮は不思議そうな顔をしている。
社は苦笑いで蓮に向かって言った。


「あのさ、ここだと言い辛いから、帰りに二人に同時に、話をするね?」
「最上さんが慌てるような、内容なんですね?」
「まあ、いわゆる、社長命令ってやつ、だね」
「そうですか(・・・だいたい想像つくかな)」


蓮は苦笑いを浮かべた。


「キョーコちゃんは気にしないで!」
「・・・はい」


あっちでもこっちでも、キョーコちゃんの体を雑誌で見られたり、蓮などは触ったりして、今、問題が起きてるよ!と、社は思った。


「キョーコちゃんは、人気者だね。今度、写真集とか雑誌とか、とにかく写真に写る仕事も来るんじゃないかな。あの雑誌見たのか、社内でもそんな話も上がっていたよ。どんな種類の仕事になるのかは別として、今の年齢でしかできない仕事の一つだし、今の綺麗な瞬間を、最も綺麗に引き出して撮ってもらえるのはいいよね」


社がまた苦笑いで笑った。

蓮が「出たら教えて、買うから」と言った。

キョーコも頷いた。




 
 
*****
 
 
いつくしむ 【英嗣】
 
 英嗣は生まれて一歳の時にはもうおもちゃの筆を持たされていた。おもちゃも世界の美術工芸品が贈られ、いつでも何かの芸術品の中に囲まれて育った。

三歳になると、ピアノとバイオリンを習い始めて、絵と工芸には父親と祖父がついた。その父親も有名な絵描きで、曽祖父も絵描き、祖父も人間国宝に指定された陶芸家だった。

 父親は祖父の陶芸は継がなかった。さして物を作る事に興味が無かった。絵を描く才能がずば抜けて高く、何度も国内で有数の賞を取り、祖父も自分のあとを継がせるのをあきらめた。

 絵描きの父親が開いていた美術スクールに、佐保、という名前の女の子が入ってきたのは、英嗣が十歳で、佐保が六歳の時だった。隣に母親と引っ越してきてすぐに入る事になった。

 英嗣はピアノを弾く方が好きで、絵を描く事はそんなに好きではなかった。それでも、描くのも作るのも、学校では他には類を見ない程とび抜けた才能で、作品はいつも展示会へ行く。成績もいつでも最高だった。だから、父親は、引き続き描くことを勧めた。

 英嗣から見て佐保はもっと、上手だった。

 なんでも、佐保の方が上手で、英嗣は佐保がいるから、自分はピアノを弾きたいと言った。

 天才的な英嗣の才能は、英嗣にとっては当たり前のことで、さしてそれが特別な事だとは思っていなかった。それよりも佐保の絵の方がずっと好きだった。

 父親は、成長には男女差があるから、気にするな、と言った。

 佐保が英嗣の家にやってきたのは、それから程なくして、英嗣が十二歳で、佐保が八歳の時だった。

 佐保の母親が亡くなったのをきっかけに、引き取る身寄りの無かった佐保を英嗣の父親が育てる事にした。

 泣いてばかりいた佐保の気持ちは英嗣にも十分に分かる。英嗣は、笑ってほしくてありとあらゆることをし続けた。妹が一人増えたような気がした。その頃から、英嗣は佐保を守る事に関して、異常な程だった。

 互いに、よく、お互いの絵を描き続けた。何度描きたい絵を描けと言われても、佐保ばかり描いた。

 英嗣が小学生を出て、中学生を出ても、小学生の佐保の方が上手だと英嗣は感じた。そして英嗣は佐保の絵を見ているのがとても好きだった。
 
素直な佐保の絵は、父親に習う程上達して、いつも褒められていたのは佐保だった。
 
 英嗣が現役で最難関の芸術大学に進学した時は、厳格な父親も珍しく褒めた。
佐保は中学三年生だった。英嗣の父親は、佐保も英嗣と同じ大学に進学する道を考えていた。

 だから高校も、英嗣と同じ高校を勧めた。

 その高校は、近所の進学校だった。でも、佐保は別の学校へ行きたいと英嗣にだけは言った。でも父親に言えないのだとも。だから、代わりに英嗣が佐保の進学先について反対した。その理由をどんなに聞いても英嗣も父親に言わなかった。佐保がしたくない事は、英嗣もしたくなかった。

英嗣の気持ちを様々察した父親が言った。

「お前が、二十七になるまで佐保を待てるか。今から、十年、待てるか」

 と。触れてはならない、という話だった。

「あくまでうちで預かったお嬢さんで娘も同然だ。だから恋愛は許さない。でも、お前が本当に佐保と結婚までしたい程好きだと言うのなら、お前が二十七になる年、佐保が二十三になったら、好きにしていい。でも、その歳になっても、佐保がもし大学を出ていなければ、佐保が大学を出て、進路が決まった頃まで待てるならそうして欲しい」

 そんな事を言った。

 理由は、最も近しい場所にいるだけの気の迷いなのではないのかという事、英嗣が大学に行き違う人間関係の中に放り込まれたならば、佐保の事など忘れて別の女性と恋愛をしたくなる可能性だってあるだろう事。そんな時、佐保は恐らくこの家にはいづらいと考えるだろう事。英嗣が本当に佐保を支える事が出来るのか、大学を出た後仕事が安定するのか、など、一人の親としての気遣い、そういった事だった。自分が佐保の父親だったら、今のお前にそう言うだろう、と。

 十八だった英嗣は、二十七まで、と、考えると、気の遠くなるような時間に思えたけれども、二つ返事で首を縦に振った。

「わかった。約束だ」

 父親は、ただ、一言だけそう言って、佐保の高校を本人の希望を受け入れた。

 しばらくして、英嗣が大学に慣れたころ、英嗣は祖父の趣味で営んでいた美術カフェを手伝いたいと言い出した。父親は反対した。絵を描く時間が減る。そんな事だった。しかし、佐保が珍しく英嗣の話を聞くよう泣いて懇願した。だから父親は祖父の社交場としての道楽家業を継ぐ気はなく、もし英嗣が本気で継ぎたいのならいいと言った。その場を使って、佐保を支える糧を得たいと願うのなら、それもまたいいと思った。

なぜなら、英嗣は、絵を描く事よりピアノを弾いていた方が好きだった。絵画科ではなく器楽科に行きたかった事も父親もよく分かっていた。その望みを、父親と祖父を思って、自ら諦めたのを佐保から父親は涙ながらに聞かされ、英嗣の本当の声を聞くよう訴えられた。父親は自分も随分昔に同じことを祖父に訴えたのではなかっただろうか、と、思い出した。その時祖父は、許してくれた。だから自分も許そう、と思った。そして同時に、佐保も、英嗣の事を本当に思っているのかもしれないと思った。


英嗣の絵の才能は、父親が見ても、抜きんでて秀でていた。大学内の展示会の絵を見に行っても。自分の子供ながら、それで生計を立てられる程だと思った。実際頼まれて描いた絵は、次から次へと売れてしまい、手元にない。
けれども、それでも、もしピアノを専攻していたら。もしかして、こんなに絵を描くことに受け身な子供に育たなかったのだろうか。また違った人生を歩んでいただろうか。佐保について、もっと寛容に恋愛をさせたなら、もっと違う日々を歩んだだろうか。そんな事を思った。だから、父親にはその負い目もあって、英嗣の生き方に、半分位は目をつむる事にした。
 


 
*****
 
 
「佐保ちゃん!その泣いて懇願するの、もう少し、抑えた感じ、かな。全力で訴えるというより、静かに、震えるように、先生に尊敬と畏怖を感じながらも、普段静かな佐保が、英嗣のために必死に伝える、っていう感じ」

「あ、はい、わかりました!」

 キョーコは父親役の俳優に、もう一度お願いします、と、言って、丁寧に頭を下げて、静かに目に涙を溜め始める。

「それ、すごいね、京子さん」

 英嗣の父親役の俳優が言った。渋い面持ちの、低い声。この世界の重鎮でもあった。

「親友の、直伝なんです。彼女は思った瞬間に泣けるので本当に神業です」

 少しずつ涙を溜めながら言う。

「へえ、それはいいお友達を持ったね」

 そんな事を言われて、キョーコは誇らしく思いながら、目にはもう涙が零れそうな程溜まっていた。

 手を上げて、用意完了の合図をする。

 再度その場面を撮り始める。

「先生、お願いです・・・英嗣さんの、本当の気持ち、聞いていただけませんか・・・。おねがい、です・・・・英嗣さん、このままじゃ、苦しくて、苦しくて、絵も、描けなくなります・・・・」

「・・・・・」

 目からボロボロと涙を零したキョーコを見ながら、俳優の目は大きく見開かれ、喉元がグッと動いた。


 OKが出てすぐに、スタッフがキョーコの目元をタオルで抑える。キョーコのボロボロに泣き零した涙を丁寧に押さえた。








 



 







 







2019.4.5