「最上さん、悪趣味。」

耳元で囁かれてはっと振り返るとすぐに、敦賀さんは私の腕を思い切り引き、コンパスの違いから私は半分走るように廊下を歩かれた。

敦賀さんは、周囲の「一体何事?」と言う視線と、彼好きの人の私への痛い視線などおかまいなしに歩き、そうして事務所ロビーのソファまで一気にたどり着いた。

ソファに無理やり座らされて小さくなってしまった私に、敦賀さんが先に声をかけてくれた。

「何を・・・・いじけているの。」
「・・・・・・だってぇ・・・・・・。」
「・・・・気持ちは分かるけど、あんな顔して立ってたらダメだよ・・・・。」

敦賀さんは、苦笑いのような、あきれたような顔を、していた。

「・・・・・・びっくり、して・・・・。前、そういう場面を・・・見かけたときも乙女笑顔に、びっくりしたんですけどね、それは仕事だと・・・言っていましたから。あんな顔なんて・・・・初めてで・・・・。私は・・・声を、かけ損ねて・・・。」
「・・・・最上さん・・・・落ち着いて・・・・?」
「ええと、少し動揺して・・・・。ごめんなさい。」

だって、事務所の端っこで、敦賀さんを待っていて、そこで、モー子さんを見かけて。声をかけようと・・・・思ったのに、横には彼が、いて。だから私は二人に声をかけようと思ったのに・・・・・・・キスをし始めて・・・・・出来なくて。彼の優しい顔と、モー子さんの少し怒ったような照れた顔が目に入って・・・・あんな顔、出来るんだと、演技でないモー子さんの乙女笑顔なんて初めてで。

私にはあんな笑顔・・・・した事あったかな・・・・なんて、変な嫉妬心と心もとない・・・・寂しさが、心を覆った。そして固まったまま動けない所に、敦賀さんが来た。敦賀さんもその場面を見て、私の心の内を・・・見てとったのだろう・・・・。


・・・・・強引だったけれど、彼の気持ちが勝って、モー子さんはラブミー部を卒業したのだから、それはとても祝福すべき事で。


私はまた一人、取り残されたと・・・・・そう思っていたのに、社長は・・・私を呼んで、「君も来月LoveMe部卒業だ」と・・・・・そう言った。なぜそうなったのか、私にはちっともわからなかった。

ただその代わり、ずっと甘えてきた敦賀さんから離れる事を前提にされた。社長の目から見ても、彼に頼りきっている事がはっきりと分かってしまっては、「京子」個人としては未熟、という事だろう。もう同じ立場でモノを考えられなければならない。

そして更に、社長の前で一度演技を見せなければいけなくて、敦賀さんにその相手をお願いしようと思ったのだけれど、それを本人に中々言い出せなくて、ついに事務所まで着いてしまった。

「ふふっ・・・親友のそういう場面は、寂しいの?最近ゆっくり会えていないんだっけ?」

「・・・そうなんです。あの二人も仕事忙しいですし・・・・私に会うよりどうしたって彼が優先されてしまいます・・・・。しょうがないんです・・・女友達ってそういうもんだって、リコさんが言ってましたし・・・・・。あの・・・・敦賀さん、しばらくそこにいていただけませんか?なんだか、動揺して・・・・落ち着かないんです。」

「いいけど、社さんが帰ってくるまでね。」
「はい、もちろんです。」

これで、何とか卒業の事を切り出すチャンスは、伸びたのだけれど・・・・ロビーでは敦賀さんに声をかけていく人、遠巻きにチェックを入れている人・・・・が沢山いて、そんな込入った話を出来る雰囲気ではなくて。仕方なく台本を取り出して、もうすぐ終わる今回のドラマの台詞を入れていた。最後、私は敦賀さんが演じる彼を諦めて・・・・親友の主役とくっつき、それを祝福する役で。


多分、すごくうまく出来ると・・・・そう思った。


動揺を落ち着かせようと台詞を頭に入れて気分転換をしているところに、石橋さんが通りかかって、私の横に座った。こんな目立つ所に二人でいたから・・・・・気が付いたのだと、思って・・・・何の気なしに、にこりと笑う彼に、私は何も言えずにいた。最近ドラマの進行がきつかったせいで電話だけで、あまり会っていなかったから。一体どういう気持ちでこの場面を見ているのか・・・・。また、そういうコトをされても困る・・・・。


「・・・・・・・・だよね。敦賀さん相変わらず・・・・忙しそうだね。」
「・・・ん?ごめん、ぼんやりしてた。会うの、久しぶりだね。そっちもあちこちレギュラー持っていて・・・・・忙しそうだね。」
「でも、割と慣れた番組多いかな。幸いな事に・・・。そうだ、敦賀さん、今度オレ達のやってる番組、出ない?・・・・最近はトーク番組と化してて。「坊」が面白いの。ぼけとつっこみがうまくて。」
「坊?」
「あぁ、アシスタントしてくれている鳥のこと。」

な、何を言い出すの・・・・この人っ・・・・・・。敦賀さんがゲストなんかに来た日には、私はどうする事もできない・・・・・・・・。つっこみは敦賀さんだし・・・・「いつもどおり」できるかと思うけど・・・。挨拶入りなんて・・・・したら。敦賀さんがスタッフに私の名前を聞いたら、スタッフが私を芸名で呼んだりしたら・・・・・・・。

私は視線を下げたまま、とにかくこの場を逃げなくてはと思って、石橋さんに声をかけた。

「石橋さん・・・あの、そろそろ、ご飯行きません?敦賀さん、このあと社さんが帰ってきたらまた次の現場、移動ですから。一人だとつまらないかなと思ったんですけど。私・・・台本に夢中になっちゃって・・・・敦賀さん、つまらなかったですよね。ごめんなさい。」

「いや・・・・。」

あ・・・・せっかく待っていてもらったのに・・・・すっかり忘れてた・・・・卒業試験の事・・・・言わないと・・・・。でも石橋さんがいるところでは言いにくい・・・・・。

「そうだ、敦賀さん。前々から言おうと思っていたのですが、折り入ってお願いがあるんです。」
「・・・・オレにできる事なら・・・・。」

敦賀さんは優しい顔でそう言ってくれたから。
私はお願いを、押し付けることにした。

「敦賀さんなら、いつも通り、必ず叶えてくれますよ。絶対に。今日の上がり、10時でしたっけ?えと・・・12時くらいに・・・また電話しますね。」

敦賀さんは「分かったよ」と言ってくれて、社さんが来たのが目に入って、私は立ち上がった。

「じゃ、行きましょうか」

石橋さんに「お願い」と無理やりな笑顔を向けて、立ってもらった。

「蓮〜お待たせっ。あれ、キョーコちゃん、もう行くの?石橋君もお疲れ様〜。」
「あ、社さん。お疲れ様です。じゃあ敦賀さん、すみません、お先に失礼します。」

私は社さんと敦賀さんに頭を下げると、とにかく、さっさとこの場からいなくなりたくて、石橋さんを促した。

「お疲れ様。明日の台詞、ちゃんと入れて来るんだよ?」

敦賀さんは、嘘吐き毒吐きスマイルできゅらきゅら私を見やって、そう言った。
それはそうだろう・・・・明日台詞を間違えた日には・・・・そこに大魔王が降りてくるはず・・・・・。敦賀さんはこの後まだお仕事なんだから・・・・・・。

「だっ・・・・・大丈夫ですっ・・・。」

石橋さんは初めてあの似非笑顔を見たのか、固まっていた。

「京子ちゃん、今の敦賀さんの笑みの意味は何?」
「いえ・・・・・見たまま・・・・です。」
「は・・・・・何、あれ。あれが敦賀さん、なの・・・?」
「えぇ・・・・私はよく、あれ頂きます。」
「ふぅん・・・・敦賀さんて本当に・・・・・。そうだ、久しぶりだから・・・本当に飲み行こうよ。」
「あ、はい。ところで、どうして坊の話を敦賀さんに・・・・・?」
「ん、面白いかと、思って。それだけだよ。敦賀さんは全然気付いてないって。多分、番組も出ないと思うよ。歌は歌わないから、とか何とか言って。ははっ。」

坊の事、黙ってくれているのだから・・・・食事くらい仕方が無い。それこそ、今日こそ行かないと、本当にあの番組に敦賀さんが出てしまいそうで。
二人で乗り込んだタクシーの中で、またぼんやり景色を眺めていた。



――・・・・・・もう、卒業が差し迫ってる・・・・・。


卒業をしたら・・・・私は敦賀さんと同じ部に上がれて、今までのようには行かない。どちらかというと、今までは頼りない私を支えてもらう形で・・・・敦賀さんが傍に・・・いてくれたけれど。卒業をすれば一人立ち。今までのように・・・敦賀さんに頼るわけにはいかない。


もう、一緒に演技を見てもらったりとか・・・・は出来ないのだろうか・・・・。
一緒に練習したり、一緒にドラマごっこをしたり・・・・。
一緒に・・・・・・・一緒に・・・・・・・・・・。


このまま敦賀さんについた嘘、全部そのままになったら・・・・・・・・・?






*****







「キョーコちゃんて・・・本当に敦賀さんが、好きでしょうがないんだね。随分前から・・・色々聞いているけどさ。三人で話すの、初めてだったから。」

「そういえば・・・三人で話すの初めてですね。でもなぜですか・・・?」

「顔に、出てる。俺といる時と全然違う。俺といる時はもっと大人な顔、してる。敦賀さんといる時は・・・・少し子供っぽい・・・・・・かな。」
「・・・・・・・・?」

私は・・・・やっぱり敦賀さんに甘えきっている・・・ということなのかな・・・・。

「素というか自然ってコト。オレのときは「先輩」として・・・いるからかもしれないけど。気を張ってるって言うのかな。敦賀さんだって同じ「先輩」のはずなんだけど・・・。なんか違う。信頼しきってるって感じかな。」

信頼は・・・・・してる。すごく。
役者として・・・・人として。
誰にでも優しくて、誰にでも大人な対応ができるなんて、感情優先の私には出来ない事で。そしてあの膨大なスケジュールを完璧に穴なくこなすなんて・・・・。

「さっき敦賀さんに腕引っ張られてきたでしょ。あそこがざわついてたから気になって見たら、君と敦賀さんが歩いていて。驚いた。敦賀さんてあんな強引な人だったっけ?それに君がね、傍にいて敦賀さんと話したり台本覚えているトコずっと見ていたけど・・・・全然違う。あんな顔、見たことが無い。君さ、」
「役になりきっていただけですよ。」

敦賀さんを好きになる、役・・・・・・だから。
それ以上口にして欲しくなくて、石橋さんの言うコトを遮った。
それなのに、石橋さんはまだ続けた。

「でもさ、『敦賀さんなら、いつも通り、必ず叶えてくれますよ。絶対に。』なんて、言えないよ、普通。一体いつも何を叶えてもらっている訳、くすくすくす・・・・。」

「・・・・・・石橋さんっ!変な言い方しないで下さいっ・・・・。」

急に自分の口にしたことに、恥ずかしくなって、顔が赤くなるのが分かった。

「まぁまぁ。敦賀さんのあんな顔も、初めて見たけどね。君の前にいると・・・そうだな・・・すごく優しい顔しているというか・・・『楽』そう。君が素を見せているからかな。でも君を大事にしているのは・・・よく分かる。オレが昔京子ちゃんに告ったときに言っただろ、君と敦賀さんが一緒にいるところを見た人は、二人が付き合っていると思ってるって。」

「いえ、あの人誰にでも優しいんです・・・。でも、私に見せるように・・・・120%紳士をせめて80%ぐらいまで下げてみたらいいと、思うんですよね。」

「・・・へぇ。紳士じゃない敦賀さんも見たこと、あるの?」

「あの人、笑顔で大魔王ですから。ええ、明日台詞を間違ったら・・・確実に・・・。」

「仕事にはすごく厳しいらしいけど・・・でも、一生懸命な女優さんには、ましてや京子ちゃんにはすごく優しいだろ?大魔王なんて、一体どんな風になるわけ?あの温和な敦賀さんが・・・。」

「・・・・・・・私には昔から、会った時から・・・・違います。脅す、すごむ、怒る・・・・。例えそれが鳥の姿でも・・・。あぁ、もう・・・石橋さんには・・・話しますね。私・・・・ある時私、「坊」のまま会ってしまったんです、敦賀さんに。あの人、「坊」の私になぜか色々と話をしてくれるようになって・・・・。私なんかが聞いてはいけない事も言ってくれたりしていたので・・・・だから坊の事・・・・LME内の誰にも言えないんです・・・・。ずっと黙ってもらっていて、すみませんでした。でも、もう・・・・本当は言わないと、なんですよね。」

「わかった・・・・・・・・・。京子ちゃん、もう参ったよ。」

彼はくすくす笑って、一気にグラスを空けて、珍しくまじめな表情で私をじっと見た。

「いい台詞、教えてあげようか。『その一歩目を遠慮してたら、何も伝わらないわ』。知ってる?随分前の映画だけど。」

「・・・・・・・・・・・・・?えと・・・・・・あぁ、舞。つい先日見ましたよ。最近リメイク版アメリカで出ましたよね?・・・・この間敦賀さんが日本版のDVDを持っていらしたので・・・一緒に見させてもらったんですよ。」

「あのさぁ、本当に付き合ってないの?なんで一緒に見る必要が、ある訳?」

「演技の勉強の一環ですから。映画やドラマ、一緒に見させてもらって、ついでに演技のこととか裏側とか色々と教えてもらえるので・・・と言いつつ・・・純粋に楽しんじゃいましたけどね・・・あの映画・・・。面白かったですっ。」

「ねぇ本当に、京子ちゃんも・・・一歩だけ、踏み出してみたら?自分の気持ち、敦賀さんに伝えてみないと。」

「石橋さん・・・・?」

「オレはもう一歩を踏み出してみたけど、もう、無理かな。でも、ずっと友達ではいてよね。仕事はこれからも一緒にやることになるんだし。ご飯も出来たらたまには付き合って欲しいし。」

「・・・・・?」
「あぁ、取引はおしまいってこと。」
「なぜ・・・ですか?」
「敦賀さんに会ったから。」
「はぁ・・・・・?」

「ははっ、いいよ、取引は続けようか?でも、君の事はもう諦めるよ。ごめんね、無理やりキスした事、敦賀さんが聞いたら・・・怒るかな。付き合ってないにしても・・・京子ちゃんはあの人に・・・・とても大事にされているし。」
「言いませんもん、そんなこと。」
「あぁ、そういえば新しいドラマ見たよ、先週。敦賀さんとしてたね。あれ、オレのよりも後だったの?」
「・・・・・・!!!!!」

そうだった・・・・あれは放送されるもの・・・・・・。
私の中では随分前の話だから・・・・忘れていた・・・。
ビデオ、後でくれるって言っていたから見てなかったし・・・・・。

「そんな赤くならなくたって。女優さん、でしょ。すごく可愛かったけど。」
「はぁ・・・・すみません。演技できていなかったでしょうか。」
「いや・・・・謝らなくても。敦賀さんだって・・・緊張したと思うけど。」
「は・・・・・?あの人は、慣れているんです。あの無表情、見ました?」
「くすくす。君ってホントに・・・・まぁいいや、早く『一歩目』・・・・踏み出してみなよ。意外といい方向に転ぶかもしれないでしょ。そんなに思いつめた顔しなくたっていいのに。」

一歩を・・・・踏み出したら。
その一歩で・・・・全てが壊れるかもしれないのに?

今までだってその一歩が・・・・踏み出せなくて。

「あのぅ・・・・・私今度、LoveMe部を卒業して、俳優部門に上がれるんです。」

「そうなの、良かったじゃない。長い事一人で残ってて・・・別にもう仕事ぶりからしたって・・・・卒業だっていいと思うけど。でもさ、本音は愛して欲しいでしょ?彼に。あの部って確かそいういう意味で、作られたんじゃなかったっけ。「私を愛して部」だもんねぇ・・・・。」

「・・・・・・・愛はもらえないもの、ですから・・・・。」
「は?何それ。どうしたの?急にそんな顔して・・・。」
「私は愛なんてもらえないし、欲しいと望んでは・・・・ダメなんです。だから、何で私があの部を卒業できるのか、分からないんです。」

酔って・・・・どうしても、我慢が出来なくなってしまったのか、石橋さんには言ってしまっても大丈夫という安心感があるのか・・・・つい、愚痴が口を滑った。

「どーしたの?敦賀さんが、好きなんでしょ?」
「・・・・・でも、言ってはいけないんです。」
「坊の事が、あるから?」
「違います。その理由は言えませんが、敦賀さんには、言ってはいけない言葉、です。」

「それは敦賀さんの事情だろ?君の事情じゃないじゃない。何を知っているのか知らないけど・・・・・。君が一歩を踏み出すことと、彼がそれを拒否するのはまた別の次元じゃない?だからさ、それでもしダメになったらオレのトコ本当にきなよ。慰めてあげるよ?今度こそ、敦賀さんなんて忘れさせてあげる。まぁ今は、そうしないけど・・・・。」

苦笑して、彼はそう言ってくれた。

この人は本当に優しい人で。敦賀さんも優しい人だけど、こんな直接ではなくて、必ず私との距離を置くし、全てをオブラートに包んでしゃべる・・・・・。たまにそういうコトを言う事があっても、かならず似非紳士スマイル付だから、嘘だし・・・・。

そんな石橋さんに私もうまく笑えたかどうか・・・・・。

そんなにあっさり言えていたら、苦労しないんです・・・・・とは言えなかった。

彼もずっと私の傍にいてくれて・・・・・その・・・・もしかしたらそういう気持ちに・・・なったりしたんだろうから・・・・・。

「せめて・・・近くにいる私が・・・できることと言ったら、敦賀さんと仕事の話をして、教えてもらったりするぐらいです。それで、いいんです。でももう、それすらも卒業しないと・・・なんですよね・・・・。これからは同じ部ですし。前に、ずっと一緒に頑張ろうって言ってくれましたから。今は傍に、いられるだけで・・・・・。」

「京子ちゃん・・・・。今どんな顔でそれ言っているか分かってる?ダメだよ、その顔は。今オレは我慢すると・・・せっかく決めたのに。オレは今、君と同じ心境なんだから・・・・・・。」

「・・・・・・・・ごめんなさい。石橋さんの事、すごく好きです。でもそれは・・・モー子さんを好きなのと同じ感じで・・・あの・・・敦賀さんを好きなのとは、また違って・・・・。」

「それが分かっているんなら、やっぱりあの部は卒業・・・・なんだよ。社長にね、まだ撮られ続けているから、本当は付き合っているのかってこの間・・・聞かれたよ。もちろん違うと、答えておいたけれど。」

自嘲気味に笑った彼に少し・・・・罪悪感を覚えた。

「石橋さんだから本音、言っていいですか?・・・・・卒業・・・・本当はしたくないんです。卒業したらもう・・・敦賀さんとは今までのようには行かないです・・・・から。社長にも言われました。「もう蓮から離れろ」って・・・・・。今までは・・・・あの人は、演技が初めてで頼りない私を育ててくれていて・・・・でも、同じ部とあらば・・・・横に立って演技を出来るようでないと、話になりませんから。しかももう頼るような歳でもなくなりましたしね。いつか来る日が、もう来てしまったのかって・・・・そんな感じです。あんまりに突然で。心の準備無く卒業なんて・・・・。」

「寂しい・・・んだね。」
「・・・・・はい。」
「でもさ、多分敦賀さんも同じ風に思うと、思うよ。それにそんな立場一つで区分なんて作らないと、思うけど・・・・。あの人、肩書きや所属している部類なんて見る人?その人自体をよく見てない?」
「どう・・・・でしょうか・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」



私は今日で石橋さんの手も離し、ついに敦賀さんの手も離さなければならなくなって、どうしようもない不安に、帰りがけにモー子さんに電話をした・・・・けど。モー子さんは、「何を悩んでいるのか分からないわね、さっさと敦賀さんに告白しなさいよ」と、まるで私の悩みなど、どうでもいいかのような返事が返ってきた。やっぱりあのなんでも直球の彼がいるから、だろうか。そのあと部屋に帰ってすぐに敦賀さんに電話をしたけれど出てくれなくて、しばらくしてから、かけ直してくれた。

「こんばんは、すみませんお電話いただいちゃって・・・・・。」
「気付かなくてごめん。・・・・なんかまた声が違うね、酔ってる・・・・?」
「今日は飲んでいませんよっ。ただ、さっき食事から帰ってきたところなので、眠くはありますけど。」

うっかり声が暗くなったのに、鋭い敦賀さんはすぐに気付いた。
無理やり明るくした声にも、気付いたかな・・・?
本当に鋭い人なのに・・・・どうして、私の気持ちには一切気付かないのかしら・・・。

「そう、ならいいけど。またどこかで倒れられたら困るからね。」
「す、すみませんっ・・・・・。いつもお世話になりっぱなしで・・・・・。」
「いいえ?最上さんには大変お世話になっていますから?」
「すみません・・・・・。そうだ・・・・そんな敦賀さんで、思い出しました・・・・・・。あのぅ、紳士な敦賀さん、やめません?」

さっき石橋さんと話していたことが頭をよぎって、口にしてみたのだけれど・・・・。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

しばらくの間敦賀さんは黙ってしまった。
いつも考え込んで黙ってしまうのは私のほうなのに、珍しい・・・・。
もしかして、私ってばまたイラツボついたのかしら・・・。

「敦賀さん?」
「あ、あぁごめん。ちょっとね、さっきの仕事場でも同じような事言われたから。そんなにみんな、オレが「紳士」だったり「温和」だったりすると、困る?」

そんな事思う人、他にいるなんて・・・敦賀さんと親しい人なのか敦賀さんが本音というか本性を見せられる人がいるなんて珍しいなと、そう思った。

「困りませんけど・・・でも・・・疲れませんか?いつでもどこでも、にっこり笑っているの。傍から見ていて、心配しているんです。いつか、敦賀さんが・・・・疲れて壊れてしまいそうで。」
「「早死にするぞ」って、さっき言われたところだよ。」

笑いながら敦賀さんはそう言ったけれど・・・・・。
そんなによく、敦賀さんのこと、分かっている人って・・・・どんな人なんだろう。
何のお仕事をしたのか、今度社さんにこっそり聞いてみないと・・・・。

「そうですよ、早死にしますよっ。いつもの「いじわる」なぐらいの敦賀さんの方が、私、自然でいいと思います。長い事一緒にいさせてもらえてるせいで・・・・私にしか見せてないみたいだから。初めて会った時から敦賀さんと私、いがみ合ってきたから見せやすいのは分かります。でも、もし出来たら他の人にも見せてあげられたらいいなって思って。」
「そうだね・・・・・。ありがとう、心配してくれて。」

すごく優しい声が耳に響いて、身体がくすぐったくなって、思わず声が上ずった。

「いえ・・・・・・。あのぅ、私、今度LoveMe部を卒業するんです。やっと、俳優部門に上げてもらえる事になったのですが・・・。そこで、お願いがあるんですけど。」
「あれ、紳士なオレをやめるのがお願いなんじゃ、ないの?」
「えっ・・・違いまして・・・。それはふと思ったことだったので、忘れないうちに言ってみましたっ。紳士な敦賀さんだって敦賀さんですから。やめるも何も本当はないんですけど・・・・。もう少しだけ、『楽』にしていてもいいかなって。そういうことです。じゃ、なくて。お願いなんですけど。」

私の前にいると、敦賀さんは『楽』に見えるとそう石橋さんが言っていたから。
他でももう少し、『楽』にしてくれればいいなと、思った。

「何?」
「卒業時に社長の前で演技しなければいけないんです。だから、相手役を敦賀さんにぜひお願いしたいんです。台本は作りません。いつも練習の相手役やってもらっていたから、息は合うと思うんですよね。素の敦賀さんで、いいですから。」
「・・・・・いいけど・・・・・でも素といっても、何か設定、くれないと。」

そう言われれば・・・・ただお願いすることしか考えてなくて・・・・。
とっさの思いつきで、口がしゃべりだした。

「そうですね・・・・。「卒業」なので、ちょっと苦しいですけど、敦賀さんの大学の卒業式の一部って感じでどうですか?イメージは・・・敦賀さんが、サークルか、ゼミの先輩・・・かな?大学院なら、敦賀さんぐらいの人も卒業年齢ですよね。」
「なんで。君の卒業だろう?オレの卒業なんて、いいよ。」
「ダメですか?」
「オレが卒業して、どうするの。」

あぁ・・・・・そうだった・・・・でも、敦賀さんが卒業するのなんて、絶対に見られないし・・・・・生徒役なんて・・・敦賀さん絶対に無いだろうし・・・・。

半分悪乗りというか、楽しくて、思いつきの割りにそれをやってみたくなった。

「ええ。私は後輩として、先輩の敦賀さんを卒業させてみたいんです。面白いでしょ?」
「面白いって・・・。」
「現実じゃ、絶対出来ませんもん。敦賀さんを卒業させるなんて。ふふふっ・・・・。」
「君が楽しがってるだけだね、さては。」
「ええ、楽しがっていますよ?折角ですから。いけませんか?」
「はいはい、いいよ。でもさ、相手役ならあの彼、石橋にすればいいのに。」

な、なんでそこで石橋さんの名前が・・・出てくるんだろう・・・。
もうお願いも何も・・・・出来ない・・・・し。
やっぱり、敦賀さんが一番私の演技については、分かってくれているから。

だって、敦賀さん仕込みなんだもの、私の演技・・・・・。

「あの人、タレントですから。俳優じゃないし。それに私の好きな「間」を分かってくれるの、やっぱり敦賀さんが一番ですもん。」
「了解。じゃあ、社長の前に行く日、決まったら教えてね。明日の撮影も、寝坊したらダメだよ?」

・・・・・・・きっと、電話の向こうはいつもの似非笑顔に、違いない・・・・・。

「分かってまーす。じゃあ、お願いしますね。遅くにありがとうございました。おやすみなさい。」
「はい、おやすみ。」



敦賀さんは、優しい。

いつでも優しくて。全てお願いは叶えてくれるし、話も必ず聞いてくれる・・・・。だから、こうして私が無理やりするお願いだって、なんだかんだ言いながらも必ず引き受けてくれるって分かってた。

ここで、敦賀さんが私のお願いなんか聞けないってつっぱねてくれたら、社長さんに、敦賀さんがダメといったので、卒業試験受けません、なんて言えるんだけど。

そうだ・・・・・・。
卒業試験て・・・・受けなかったら・・・・・どうなるのだろう・・・・。

そのままLoveMe部に残れるのだろうか?そうしたら、仕事は俳優部とそんなに変わらない私は、今までのようにいられるのだろうか・・・?



――臆病者ね・・・・・。


いつからこんな風になったのだろう。
『一歩』なんて、踏み出せるのだろうか・・・・・。



私は、『一歩を』踏み出したいのか、踏み出したくないのか・・・。
拒絶されるのが怖いのか、それとも関係を壊すのが怖いのか・・・。



哀しい心の彷徨は、いつまでたっても止まらない。



私はまたコーンに頼って、その日も眠りについた。