【Daydream 9 -The Secret Garden-】




「最上君、どうした?」

学長の一言に、はっと…気付いた。音がぶれて止めてしまった演奏の言い訳など出来ずに、ピアノの蓋を閉めてごめんなさい、と一言だけ目の前で謝った。

今日は毎月定例の奨学生の面談の日で。面談代わりとばかりに、学長に一曲聴いていただく事になっている。学長の鋭すぎるほど鋭い耳は、聴けばすぐに練習の成果など・・・あっという間にばれる。口先など効かない。ショータローが未だに奨学生でいられるのも、それなりに両立しながら練習をしているのだろう。敦賀さんも、プロになるとはいえもちろんその一人。朝早くに面談をしただろう。ショータローが昨日帰ってきたのも、今日面談を受ける為。

「いや・・・演奏をやめたのを責めているんじゃない。まぁ、座りたまえ。」
「はい・・・。」
「ピアノの音がおかしかったのは分かったが・・・その弾き方は君のじゃないだろう?先月聞いたときと全く音が違うな。」
「・・・・・・。」
「蓮の音・・・だな。・・・・・師事するんだってな。」
「はい・・・・。」
「まぁ・・・蓮の音をCDで聞いたりしたんだろうが・・・不破君の音だろうと蓮の音だろうと参考程度にしないと・・・君自身の個性が無くなるよ。蓮嫌いだった君がすぐに蓮の音を理解できるんだから、君の技術は買ってるんだよ。あとは・・・自分のカラーを出していかないと・・・技術でコンクール優勝は出来るだろうが、結局プロでも三流に甘んじるだろうね。それでもいいならいいが。オレは君に職業にしてもらいたいんだがね・・・。ウチを相当の成績で出て・・・ただのピアノ講師になるにはもったいないだろう。」

最近敦賀さんにも言われた「私の音」。そんなに、私は自分の音が無いのだろうか?私の解釈は出しているはずなのに。やはり「弾こう」と思うと・・・どうしてもクセでアイツの音になるんだろうか・・・。

「すみません・・・・。」

無意味に謝った。どうしたらいいのかが、分からなかった。

「ラブミー部から・・・早く出してやりたいんだ。君が・・・蓮を選んだと聞いたときからね。」
「・・・・・?」
「不破君の音しか耳に入らなかった君が・・・いい傾向だと思うんでね。来年また一つ国際コンクールが開催されるからね・・・出てみるといい。その前に日本のコンクールに一つでも二つでも出た方がいいか。」
「ほ、ホントですかっ???」

もう、大学にいる間は出られないと思っていたコンクール。まさかそんな話が急にOKを貰えるとは思わずに、思わず身を乗り出していたらしい。まぁまぁ、と学長に手で戻るように指示された。

「今まで強制的にオレが止めてきたが。出たかっただろう?」
「・・・・・・・はい。すごく・・・・。」

――早くに出られて・・・約束をもっと早く果たせていれば・・・・。

「不破君がさっきピアノを見せに来てね。その後の面談で・・・君をさっさとコンクールに出せと…直談判してきた。」
「え・・・・?」
「どういう意図があるのかはわからない。彼ももう一度ピアノをやると言っているよ。仕事の合間だろうがね・・・。歌手活動とともにピアノもプロとして転向すると・・・・。そのためにはもう少し実績を積もうと言うコトらしいがね。まぁミーハーな客を呼びたくないと言うのもあるらしいが・・・・。オレとしては彼が芸能活動でCDを出そうと、ピアノでCDを出そうと、正直なトコどちらでも売れるからね。レーベルの社長としてはどっちでもいいんだよ。将来的なことを考えたら確かにピアノもやっておいた方がいいかと思って了承したよ。」
「そう、ですか・・・・。」


アイツは・・・父親のプロの姿を見てやりたくないと言っていたはずだったけれど。なぜ急に・・・・?ショータローは週2回のペースで、出来うる限り先生のところに通うと言ったらしい。

「キョーコちゃん、今日不破君が来てね。」

先生は、コーヒーサーバーの前に立っていた私に、少し言いにくそうな声で私に先程の学長の話と同じ事を告げた。落としたてのコーヒーを先生にお出しして、ソファの向かい合いに座った。

「えぇ・・・伺ってます。なぜ急に・・・。プロの仕事の方が行き詰っているんでしょうか?それとも新たな個性の開拓の企画でも持ち上がったのかしら・・・。アイツの事だから、どこまで本気なのか・・・分からないですけどね。」
「・・・・・・それがねえ、僕には彼の父親が賞を取ったコンクールを目指すと・・・言い出してねぇ。」
「・・・・・は?」

開いた口が塞がらないというのはこの事だろう。思わず先生に向かって・・・失礼な口をきいていた。

――まさか、「敦賀蓮」に対抗するため・・・・?

「不破君が・・・キョーコちゃんもコンクール出るように学長に進言したんだってね。僕としては早く出て欲しかったからそれは嬉しかったんだけどねぇ。」

「近々コンクールの登録してもいいと、今日学長からOKを貰いました。ラブミー部から出してもらえるとは言ってはいませんでしたけど・・・・。」

「おお!そうかい。それは良かったねぇ。どのコンクールにするか、どの曲目でいくか・・・僕も久々に腕がなるねぇ。僕がコンサートで地方に行ってしまって見られないときは敦賀君もいるしね。」

「はい。」

「だけど、敦賀君・・・これからしばらく仕事で忙しいみたいだよ。来週の東京公演は君がラブミー部のお仕事で一緒に見に行くだろうけど・・・そこから名古屋・大阪・福岡・仙台・札幌・・・しばらくあちこち行ってるからねぇ。しばらく見てあげられるのは僕だけになるけど。」

「と、とんでもないです。先生に見ていただけるだけで、私は全然っ。」
「違うよ、寂しいだろう?って事だよ。」
「・・・・・・・・・?」
「おや、敦賀君と君・・・付き合ってるらしいって専ら学校中の噂だよ?みんな僕にキョーコちゃんが、『キョーコちゃん』だったんですか?って聞くんだから。僕に黙ってるなんて水臭いよねぇ。だからあんなに仲が良かったんだね。仕事抜きにしてもねぇ・・・。ラブミー部出られるかもしれないというのも頷けるな、うん。」
「・・・・・・・え?」

再び口が塞がらなくて、口をつけたミルクたっぷりのコーヒーを何とか喉の奥へ流し込んだ。先生は完全に信じているような表情で嬉しそうに笑っている。

「違うの?」
「ち、違いますっ。師事するだけって・・・・。」
「そうなんだ・・・。」
「なんでですっ?そんな先生が・・・がっかりしなくても。」
「キョーコちゃんが不破君以外でピアノ弾きながら楽しそうにしているトコなんて昨日初めて目にしたから。僕嬉しくてね。」

そんなに楽しそうに弾いたつもりは・・・無かったけれど。敦賀さんが私の手許を見るようにしてずっと傍にいたから。普段は一人で引き続けてるから・・・・話し相手が傍にいるのは嬉しかった。そして弾いた事がないはずなのに、途中一曲弾き終わったあとに、一音だけミスタッチを指摘されて驚いた。ばれないかと思ったのに・・・。敦賀さん曰く音の並びが妙だったから、と言うコトなんだけれど。その話に花が咲いていたから・・・余計かもしれない。

「・・・・・・付き合ってないですよ?」
「取り繕わなくていいんだよ。キョーコちゃんはキョーコちゃんらしくあれば・・・。君は今どんな形であれ、敦賀君を気に入ってるだろう?その気持ちを・・・不破君の事を思って否定してはダメだよ。それに素のままでいれば、いつか不破君だろうと敦賀君だろうと、他の誰かだろうと・・・君を理解して心から愛してくれる人がいるから。頑なに不破君と決めたり、敦賀君はダメだとか・・・考えない方がいいと思うんだけどねぇ。しかも君の周りには君が思っているよりも君を好きな人はいるよ?」

「あの・・・・?」

「ふふ。心が頑なになると音も一方通行の頑なな音になるような気がしてね。不破君の音を追う君を・・・否定する訳では無いけれど心に素直に柔軟でいた方が君らしい音が出てくると思うんだよね。曲の解釈なんて十人十色だろうから・・・僕の音を覚えてくれつつ、不破君の音で弾く君を否定してこなかったんだけどね。でもキョーコちゃんが課題曲以外の曲を一人楽しそうに弾く時が僕は実は一番好きでね。こっそりここで聞いてるのが好きだったよ。それが君の音だと思っているよ。・・・・・君がラブミー部を出られるかもしれない日が来たら、言うつもりだったんだけど。」

――どうして・・・私が「自分の音」を分かってない事を、それがどういうものなのか分からなくて悩んでいる事を分かったのだろう・・・。

先生の目をじっと見ていたら、ふっと優しく笑って、悩んでいたんだろう?と付け足した。

「・・・・敦賀君がね、昨日の夜「君の音を聞いた」と僕に言ったよ。そして自身の音に気付いてない様子だと・・・ね。昨日の夜、あのあと敦賀君と君に何があったか・・・分からないけど、敦賀君があんなに自嘲気味に話す様子を見た事が無くてね。普段凛としている分僕はその事の方が驚いたんだけどね。僕もそれに気付いてはいたんだけど…まさか君と会って数週間の敦賀君にそれを指摘されるとは思わなくてね。つい君にも変な話をしてしまったな。ごめんよ?」

「敦賀さん、今日ここにいらしてたんですか・・・?」
「うん。今後のスケジュール予定を持ってきて・・・それと来週のコンサートの音を聞いて欲しいとね。で・・・敦賀君の音が少しぶれた事もまた驚きだったんだけどねぇ・・・・。」

先生も苦笑してそう言った。

――あの敦賀さんの音がぶれた・・・?

コンサート用の曲なんて身体が覚える位、一体何度弾いているかしれないだろうに・・・・。まさか、昨日の・・・・私のせいだろうか・・・・。


「そしてキョーコちゃんが学長の前で弾けなかったと言うのもさっき学長から聞いたけどね・・・。一体何があったんだい?僕が聞ける事なら聞くけど・・・。何か敦賀君に嫌な事でもされたのかい?」
「いえ、何も・・・。」
「不破君が急に弾きだすと言い・・・敦賀君とキョーコちゃんが何だかおかしい。関係は無いのかい?」
「えっと・・・・。」
「あるといえばありそう、と言う事かな?」
「あの、敦賀さんは全然悪く無くて・・・昨日の夜、宿題だった曲をうまく弾けなくて。敦賀さんが今日音がぶれた原因は・・・分かりませんけど・・・・。」

先生はただ単に私の身を気遣ってくれているのだと分かるから、ウソはつきたくなかった。けれど敦賀さんと私の関係を・・・・どこまでどうやって話していいのかまだ自分自身で答えが出ていなくて、曖昧な返事ばかりでのらりくらりと、交わして逃げた。



――おなかすいたな・・・・。


先生と話し込んでいたら既に時計は2時を回っていた。先生の部屋の前で大きく伸びをして、そうだ、と思い立って学校の裏側にやってきた。学校の裏側には、学長の庭がある。まるでヒミツの花園のような綺麗な造園。あちこちに学長がすきそうなモニュメントが置いてあって、特に一番奥は、まさにヒミツの花園。この学校の殆どの人間が知らない。大きな噴水の周りに綺麗に芝が植えてあって、ベンチは無いものの、太い木の木陰が気持ち良い。普段はそこでモー子さんと待ち合わせをして、ご飯を食べたり本を読んだり楽譜を見たりする。


その一番奥に入るには少しだけ分かりにくい木の茂みの間を抜けて・・・・。


「敦賀さん・・・・。」


――なんでこの人がココで寝てるの・・・・?


木陰で木に寄りかかってすぅすぅ寝ている敦賀さんの大きな身体があった。綺麗な噴水の水音と、暖かい風が気持ちいいのは分かる。無防備な人なのかしら?でもまだ帰ってきてすぐの彼が・・・この場所を見つけるなんて・・・・。

私が入れたのは高校にはいってから2年後だったのに。学長もお気に入りのこの場所。中々教えてはくれない。教えてもらえなければ…多分誰も気付かないだろう。ここに入る前に既に広大で快適な芝生と沢山のベンチが学生の憩いの場として開放されている。


――というか・・・・・。


敦賀さんの顔を見て、昨日の夜の事が・・・・思い出されて、頬が熱くなるのを覚えた。敦賀さんが起きないうちに帰ろうと思ったのに。敦賀さんは目を覚ました。

「最上さん・・・?」
「・・・・・・あのっ・・・・起こしちゃってゴメンなさい・・・・。」
「いや・・・・気付いたら寝てた・・・・。」


敦賀さんも、やっぱり眠れなかったんだろうか?私はモー子さんが気にしてくれのに・・・やっぱり眠れなかった。今日学長は眠れずに音がぶれた事を許してくれたから良かったけれど、続くようなら奨学生として情け無い。

「敦賀さん、お昼・・・もう食べました?」
「いや・・・。」
「サンドイッチ、作ってきたんです。一緒に食べませんか?」

敦賀さんもきっと昨日の事を気にしているかもしれない。普通に接してあげなければ・・・と思った。

「ん、ありがとう・・・。」
「いえ。コーヒーはミルクたっぷりですけどね?」
「ふ・・・。」

大きく伸びをした敦賀さんの太ももの上には、伏せた「ラ・カンパネラ」の楽譜があった。それを拾い上げて、敦賀さんの解釈を追った。きっとこれも敦賀さんが弾いたら優しくて透明な音が出てくるだろう・・・・。

「来週のコンサートの曲目ですか?この曲も弾くの大好きですっ。さすがにミスタッチはありますけど・・・。」
「いや?次に君の「これ弾いてください」は・・・コレかと思って。リストが続いたからね。弾けるなら今度聴かせて?」
「・・・え?そのためにわざわざ・・・・?」
「オレの気分転換に「これ弾いてください」はいいよね。コンクールの時は課題曲の為に広く弾いてきたから、そんなにアレコレ弾くのは苦じゃない。将来的にコンサート用の練習にもなるしね。少しオレのプロとしてのバリエーションも増やしたいし・・・。1年に一回も開かない楽譜があるよりは・・・毎日色々見ている方が確かにオレのためにもいいしね。」
「ふふ、じゃあこれからも遠慮なくっ。」

サンドイッチを食べ終えた敦賀さんは、美味しかったよ、と言ってコーヒーを口にした後、なぜか真面目な顔でじっと私の目を覗きこんだ。不意に覗かれて、心が準備してなかったから・・・思わずどきりとして、目が泳いだ気がした。

「・・・・来週のコンサート用の曲、君に聴いて欲しいんだ。率直な意見が欲しい。」

――今日音がぶれたから・・・?

「あのっ・・・敦賀さんっ・・・。さっき先生に・・・ちょっとだけ聞きました。音が・・・ぶれたって・・・。私の、せいですか・・・・?昨日・・・また泣いちゃったから・・・。」
「・・・・・眠れなかったのは確か、だよ・・・。」

確かに自嘲気味に苦笑する敦賀さんを見て・・・・私も驚いた。

「どうしてです・・・?」

どうして、敦賀さんが眠れなくなるの・・・・?私を追い詰めたのは私と割り切りたかったと・・・・思ったのだけど・・・・。まさかもう、「キョーコちゃん」だと気付いているの・・・・?

「そんなによく泣く子と付き合った事ないからねぇ・・・。どう対策とろうかってね。」
「む・・・・。」
「ふ・・・ウソだよ。君とキスしたからだろ?多分。抱きたいとも思ったし。」
「・・・・・っ・・・・。」
「くすくす・・・・真っ赤。ピアノ以外も教えて欲しくなったら色々と・・・まぁ手取り足取り?」
「敦賀さんっ・・・・!!!」

敦賀さん・・・・きっと私に気を遣ってわざと明るくしてくれてるって・・・分かってる、分かってるけど。だけどね。そんな事口にしなくたって・・・。

「おや・・・・・・。」

すっと・・・首元に手をやられて顔を近づけられて、反射的に首をすくめた。

「違う、キスじゃない。」
「・・・・・・???」
「期待させた?」

そっと目を開けると、敦賀さんはにっと笑った。
かっ・・・と赤くなった頬をよそに、敦賀さんは私の首の左側をすっと人差し指で撫でた。

「ひゃっ・・・。」
「コレ。君・・・ヴァイオリン弾くの?ヴィオラ?」

私の首もとの斑点を指して言っているようだった。
ヴァイオリンの肩当でついた痕。まるであざの様なコレ。

「あ・・・・。ヴァイオリンです。今はたまにしか弾かないですけど・・・。」
「へぇ?」
「アイツの母親はヴァイオリニストですから・・・。彼はピアニストに、私はヴァイオリニストにと・・・彼の両親は思っていたようです。結婚したら・・・同じような家庭にって・・・。だけど私はピアノの方が好きだったから・・・。」

「ピアノ?彼だろ?」
「もう!!両方ですっ。敦賀さんなんて嫌いですっ。」

すりすり、ともう一度私の斑点を撫でた敦賀さんは、「妬けるね」と一言だけ口にした。
そしてまた私の目から何かを引き出さんと・・・じっと覗きこまれた。

――この目を見ると・・・ダメ・・・・。

何も考えられなくなる。敦賀さんの手の中に落ちるような気がする。

「あの・・・・?」
「・・・・・・いや。ヴァイオリン・・・今度聴かせて。オレは弾かないから・・・。」
「あ、はい・・・。」


――本当は何が言いたかったの・・・・?

そんな事を言いたいような目ではなかった。「いや」と言って心を隠した。何を思っているのか、何を考えているのか・・・。私に優しい敦賀さん。今日ピアノを弾けなかった敦賀さん。こんな所で一人でいる敦賀さん。私に軽口を叩く敦賀さん。

敦賀さんの心の内を少し覗いて見たい気に駆られた。

「敦賀さん。敦賀さんも・・・あのっ・・・私がこんなことを言うのはおかしいんですけど・・・・。敦賀さん、何か悩んでいるなら・・・私でも良ければ聞きますよ?今日・・・ピアノ弾けなかったのは・・・何かあったんですか?私のせいなら・・・謝ります・・・。」

「君が解決してくれるの?」

くすくす・・・と笑って、近づいた彼に、私の斑点を軽く吸われた。

「今は昼間だからココにしとくよ・・・くすくす・・・。」
「なっ・・・・・。」
「君をオレのものにしたいよね。全てね。」
「どうして・・・だって、探してる「キョーコちゃん」が・・・。」
「そうだね。でも別に君に関係ないだろ?」


――心が、痛い・・・・・・・・・。


「オレは君を気に入ってるんだから。君がオレと深く関係を持ちたいと思わない限り手は出さないけど・・・。ライトキスぐらいは許して欲しいよね。」
「・・・・ここは日本なんですけど・・・・。」

「そうだね、くすくす・・・。でもその一箇所だけ赤いのって・・・すごく気になる。」
「・・・・・・・!!」

「そんな無防備でからかうと面白くて可愛いのに・・・よく今まで他の男のものにならなかったよね・・・。この学校で君を狙っているヤツなんて腐るほどいるんだろ?」

「な・・・。いませんよっ・・・。どうしたんです?」
「いいよねぇ・・・気付かないぐらい一途に思える相手がいるって・・・。他の男なんて目に入らなかっただろ?」
「もう、忘れましたっ!!!」
「オレのせい?」
「そーですっ。」

そう言うと、敦賀さんはまたふっと自嘲気味に笑って、ゴメンね、と・・・。そんな反応をされるとは思っていなかった。冗談でからかって返されると思っていたのに。

「君・・・ホントに、騙されやすい。今オレが・・・悪いと思ったと思っているだろ?」
「・・・・・思ってるでしょう?敦賀さん、優しいから。そうやって・・・軽口叩いて私を元気付けてくれてるって・・・・。」


――コーン、だもの・・・・。


「いいんですよ?敦賀さん、本音で話してくれて。せっかく私の隠していた全てを知ってくれたから。何でも話せる間柄になりたいです。敦賀さんが・・・今何か悩んでいるなら聞きたいです。聞いてくれるだけでも、泣くだけでも・・・傍にいてくれるだけでも・・・楽になるって敦賀さんが教えてくれたんですから・・・。私が泣いた時いつも優しい敦賀さんが・・・ホントの敦賀さんだって分かってます。そうやって冗談を言って私と距離をとらなくても、いいんですよ?」

「・・・心の距離をとらなかったら・・・・オレは気に入ってる君に手を出すよ?」
「・・・・・分かってます。」
「いいの?でもそれは君が望むことじゃないだろう?」

「・・・・・・・先生に・・・・素でいろと・・・・。アイツがいるから敦賀さんを好きでいてはダメとか・・・思ってはいけないと・・・・。心の思うままにいろと・・・。」

「・・・・・?オレを、好きなの?」

「・・・・・・わかりません。本音を言うと・・・・好きか嫌いかと言われたら好き。そして・・・そーいう事になって・・・いいか、イヤかと言われたら・・・いやじゃない。昨日キスをしたとき・・・イヤじゃなかったんです。でも、すごく・・・苦しかった。好きになっちゃいけないって・・・思うとすごく苦しくて。だから人として好きって・・・思うようにする事にしました。だから・・・。」

「ふふ・・・。不破を忘れられず、オレも好きなのが・・・苦しい?それともまるで不倫をするような背徳感がするのかな?オレに悪いと思ってる・・・?」

「・・・・・・・。」

「オレを利用すればいいと、言っただろ?そう思うならオレに手を出せばいい。比べればいい。男を知らずに迷っているより知った方がいいと思うけど?」

「敦賀さんは・・・割り切れるからいいですよ?私は、無理ですっ・・・。今、一生懸命ダメって思っているのにっ・・・優しくされたら、本当に本気になりますっ・・・・。昨日キスしたときに、自分を止められなくなると・・・自分で自分が怖かった。・・・っ・・・・・・もう、敦賀さんなんて、嫌いですっ・・・・。優しいけど・・・いつも私を追い詰める・・・・。私が割り切れないって・・・分かっているでしょう?恋愛でもう泣くのはいや。それならやっぱり、最初から諦めていた方がいいんです。」

涙声になってうつむくと、敦賀さんは、いつものように抱えてくれて・・・ゴメン、と、どうして諦めるの?と・・・頭上から声がした。

「もう、イヤなんです。泣くの。」
「誰もがイヤだよ?」
「敦賀さんは、私の為に泣かないから。私だけが泣く恋愛はもう、イヤです。今度恋愛するなら・・・お互いが泣くぐらい好きな恋愛がしたい。」
「不破が・・・泣いていないと思う?」
「え・・・・?」
「オレに取られたと・・・・思ったんだろうな・・・。」
「・・・・・?」
「いや、こっちの話。だけど・・・どうして決め付ける?そういうのを先生は変えたほうがいいと言ったんだろ?心のままに・・・って・・・。」


「そうですね・・・。敦賀さんをアイツと同じぐらい好きになってしまうのが・・・怖いだけです・・・。」
「ふ・・・。ようやく出たね、本音。君こそ本音で話さないじゃないか。」
「敦賀さんは?」
「言ってもいいけどまだ昼間だよね・・・。オレの部屋で言いたいよね。そんな事?」
「・・・・・?」

「ふふ・・・本音ね。不破との約束・・・なんて破ってしまえばいいのにっていうのは、本音だね。約束破ってしまえば楽になれるよ?・・・・回りくどい?・・・・まぁさっきの君の言葉を借りれば・・・好きか嫌いかと言えば好きだよ?それで・・・そう言うコトになりたいかといえば、なりたい。割り切っているかといえば・・・そうでもないらしい。だから君とキスしたとき、オレも苦しかったよ。そして別れる時は君の為に心で泣くだろうね。つまりはね、好きだよ。・・・・これでいい?」

「敦賀さんが本気でも割り切っていても、いいんです。だけど一つだけ・・・・・・「約束」してください。いつか・・・・私のほかに「気に入った」子ができたり・・・本気で好きな子が出来たときは・・・今までの子のようにばっさり捨ててください。昨日私と交わした約束があるからとか、師事しているから・・・なんて、関係なく。これが私の最初で最後の敦賀さん自身との「約束」・・・・。私は割り切れないから。その間本気で敦賀さんを好きでいると思います・・・。」

返事の変わりに強くなった腕、そして降りて来た唇は何度も何度も角度を変えては私を確かめた。昨日の心の苦しさとは違って・・・息が出来なくて苦しかった。でも・・・その唇が表情がとても優しくて、信じられないぐらい幸せだった。キスだけで、こんなに苦しくなったり…幸せになったり…。きっと敦賀さんには、恋愛では勝てない気がする。

「可愛い・・・。キスも・・・何もかもオレが教える・・・。」

そう言ってもう一度私の首もとの痣を強く吸った敦賀さんは、ぺろり、と最後にソコを舐めた。くすぐったくて恥ずかしくて、また首をすくめて、敦賀さんの身体に額をつけた。

「他の男に教えられるのなんてイヤだ・・・・。」

ポツリと呟いたそれは、敦賀さんの軽口ではなく・・・本音のように思えた。敦賀さんがどうして私を好きになったのかは分からない。

割り切ってばかりのひどく冷たい最低な男だと思った。最初は敦賀さんの音に惹かれたはずだった。けれど優しくされてずっと傍にいてくれる事がすごく心地よくて、電車の中で抱きかかえられて、どきどきして。泣いた時に・・・黙って抱えてくれるだけで嬉しかった。「大丈夫だよ」と耳元で繰り返す敦賀さんの穏やかな声に、信じられないぐらい安心した。まさか眠ってしまうとは思わなかった。こんなに人に心からのやさしさを受けた事がないからかもしれない。言葉に騙されているとしても・・・それでも、もう良かった。

ピアノのためになるのだという先生の言葉を信じて、しばらくは私も敦賀さんとかコーンだとかは関係なく、敦賀さんの傍にいたいと思う私の心のままにいてみようと思った。


――ミイラ取りがミイラになったみたい・・・。


私とキョーコちゃんとの間で迷う敦賀さんを見ていようと思ったはずなのに。結局迷ったのは私。好きになってしまったのは、私・・・・。私の心の寂しさと、ピアノを弾く楽しさと、恋の隙間と・・・全てを優しく埋めてくれる敦賀さんの深淵に・・・私は、落ちた。






   


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2006.04.15