夢が叶う夢を見る。

夢が叶うまで、夢を見続ける・・・・。






Daydream24-1 エピローグ・前【Dream On】







キョーコはイタリアで新しい師について、一年以上が過ぎた。新しい師は厳しかったが、キョーコの熱心すぎるほど打ち込む姿を認め、可愛がっていた。レオもキョーコがイタリアに入るのに合わせてイタリアに戻った。不慣れなキョーコを連れて、毎週のように国立歌劇場の指定席に連れて音楽に触れさせ、花売りを手伝う代わりに、キョーコが蓮から貰ったピアノを直していた。

キョーコはのんびりと音楽と共に一年を過ごし、間に数回蓮が来てはキョーコの成長する音を確認して、またどこか世界へ飛ぶ日々が続いた。一人で過ごす日々に慣れ、精神的にもだいぶ強くなっただろう。間に会う蓮とキョーコのささやかで、けれども強い愛は褪せる事を知らず、会う度に深まっていった。


「キョーコ。」
「レオさん。」
「そろそろ手を休めたらどう?」
「はい。でも、あと一週間かと思うと・・・。」
「でもその後は長いだろう?今から手を痛めることは無い。もう十分すぎるほど練習しただろう?来月はオレの目の届かない所に一月籠りきりだ。ちょっと心配だね。練習しすぎやしないか・・・。君ならきっと一月その部屋に居続けるだろうから、ね。」
「ふふ・・・そうだといいです。」
「オレの耳が保証する。じーさんがこの間、キョーコが最終まで残る夢を見たと言っていたよ。じーさんがそんな事言うなんて珍しいんだ。それだけじーさんも納得させているって事だろう。別のコンクールとはいえ審査委員長の耳を納得させるなんて大したもんだよ。この一年、よく頑張った。よくレンが居なくて泣かずに耐えられたな。」
「つ、敦賀さんが居なくても耐えられますっ。まるで私が敦賀さんにおんぶにだっこみたいな言い方しないで下さいっ。」

キョーコがぶぅ、と口を膨らませると、レオはふっと笑った。

「ふーん?そんな事言うと、帰るけど。」

レオが振り返る先には、いつも急にやってくる土産が立っている。

「今日のオレの収穫物だよ、キョーコ。オレの土産は自らよく歩いて来るんだ。」
「・・・・・・・!もうっ!!!」

レオがまたこっそりと持って来た土産に、キョーコは「聞いてない」と、ふたたび頬を膨らませる。

「ビックリ箱ですっ、レオさんって。」

キョーコの横に立った蓮は、膨れた頬を撫でて、ゴメンね、と言った。

「あと一週間でしばらく声も聞けないし、メールさえできなくなるからね・・・。最後に音を聴いてあげたくて、この一週間はフリーにしておいたんだよ。」
「・・・・敦賀さんもビックリ箱です。毎回。」
「さぁキョーコ。今夜はもうピアノはおしまいにしよう。レンと一緒に三人で飲みに行こう!」
「えぇっ・・・。」
「今日はもういいだろう?三人で飲もう!そして世界のレンに美味しい酒をねだろう!」
「お前はいつも同じ酒しか飲まないくせに・・・。」
「キョーコがいるとなれば話は別♪美味しい真っ赤なワインがいいな♪」
「はいはい、何でもどうぞ・・・。」
「くすくすくす・・・。」

レオは座っていたキョーコの腕を引いて、立ち上がらせた。



*****


レオにつれられて着いた店は、時折ピアノの演奏がされている。レオが毎度直しているピアノが置いてある。レオの指定席に三人は座る。なじみの店員が何も言わずに、先にレオの好みを適当に運んできた。

しばらくたわいも無い話を続けた。蓮もレオも今度のコンクールについての話は一切しなかった。ただ、蓮はキョーコの手を握ったまま、弾いてきた指を労わるかのように、ずっと指や手のひらをさすり続けている。力でも与えるかのように。キョーコはそんな蓮の横に座り、やや照れながら黙ったままでいた。キョーコ用に出された甘いカクテルをもう片方の手で持って飲んだ。蓮がレオのグラスに紅く濃い色をしたワインを注ぐ。

「レオ、色々ありがとう。」
「うん?」
「オレの代わりをさせて・・・。」
「いや?今更だろ。またイタリア公演の時にでもアンコールに「月光」を弾いてくれればそれでいい。」
「ふ・・・。」
「それに、キョーコの成長していく音を間近で聴けたのは楽しかったよ。お前が得るべき過程をオレが貰った。・・・断じて言っておくがオレはキョーコに手を出してない。」

レオは軽く両手を挙げて無罪を主張した。キョーコも笑う。

「は・・・お前なら絶対に出さないと分かってはいたけど・・・でも心のどこかでもし本当に手を出していたら、と思ったことがあるのは事実だね。男女の仲なんて時間さえあればどうにでも変化するから・・・・。ずっと傍にいたお前が彼女に手を出していても仕方ないとは思ったけど、キョーコちゃんが拒んでくれるかな・・・?」

ちらり、とキョーコに目線を向けると、キョーコは、「レオさんはそんな人じゃありません。」と言った。蓮は、「それが一番危ないんだよ・・・。」と苦笑いを浮かべる。

「レオは人生の殆どを自然に任せて生きているからね・・・・。」
「おいおいおい、オレがまるで何も考えていないみたいじゃないか。」
「そうじゃないよ・・・くすくす。お前は自然に人を惹きつける力があるだろう。自然に人が寄る。彼女がそれに惹かれても仕方ないと思っただけだよ。」
「わ、私はそんなに浮気者じゃ・・・。」
「それも知ってる・・・くすくす・・・君は律儀だからね・・・割り切るなんて一生出来ないよ、きっと。」
「キョーコは本当に真面目だよ。お前ばっかりで。殆ど帰ってこない、会えないお前のために。なんて勿体無い。」
「くすくす・・・。」

蓮は穏やかに笑う。キョーコは飲んでいたグラスを置いて、蓮にそっともたれる。蓮はキョーコの指をずっとさすり続けている。

「敦賀さんとレオさんは仲良しでいいですね。・・・モー子さん、元気かなあ?」
「元気だよ。この間先生に会いに日本に寄ったんだけどね。彼女にも会った。君に、「適当に頑張って」と伝えて、と言っていたよ。今度彼女もコンクールに出ると言っていた。彼女が今君が使っていた一人部屋に移ったんだ。」
「うふふ・・・・。先生もお元気かしら。みんなに会いたいな。」

キョーコは、嬉しそうに柔らかく笑った。お返しに蓮の指を撫でる。

「きっと、今が一番幸せです。コンクールに出られて、結果はどうであれ出られる期待でいっぱいで、敦賀さんがそこに居て、レオさんがピアノを直してくれる。きっと、今が今までで一番幸せ。」
「・・・もっと幸せになれるよ。」
「敦賀さん、一ヵ月後、結果は結果、だと・・・思います・・・けど、あの・・・。」
「大丈夫だよ・・・。結果はあくまで結果だから・・・君の力を出し切る事に専念しておいで。たまたま運よく勝てればそれでいいし、もし望まない結果になったとしても・・・オレはいつまでも待ってる。」
「はい・・・・。」

レオは、交わされる蓮とキョーコの会話を微笑みながら聞いていた。蓮がした表情が、今間で見てきたどの表情よりも落ち着いていて、確かだったからだった。二人の間にある、何かの強い絆が、一瞬、形になって見えた気がした。


「キョーコちゃん、身体に気をつけて。頑張っておいで。」


一週間後キョーコはポーランドに向けて経った。ずっとずっと、手には大事なお守りを握り締めていた。それ以外は殆ど荷物を持たなかったが、ステージ用の衣装だけは豪華だった。気分で選べばいいと言って土屋女史が送ってくれた、何パターものドレス。けれど、最後の最後、もし、本選に望む事が出来たら、蓮から貰った黒のドレスを着ようと思った。





キョーコは、ひと月を、ポーランドで過ごした。



あいだ一人になると、不意に涙が流れたり、不意に嬉しくなったり、予選を勝ち進むに従い集中度と感情の起伏は高まり、最後の最後、オーケストラをバックにして椅子に座り、呼吸を整えてピアノのペダルに足をかけた時、最高潮に達した緊張と集中の中、一瞬指が動かないような気がした。そんな緊張した中、最後に聞こえた声は、「大丈夫だよ」と繰り返し言った、蓮の声だった。


――大丈夫、大丈夫。
――大丈夫だよ、キョーコちゃん・・・・



落ち着くようにキョーコをあやすような囁く声がすぐ傍で聞こえた気がして、キョーコは本番前に、ふっと・・・穏やかに、――まるで蓮がするように――神々しく美しく微笑んだ。まるで普段どおり横に蓮が立っているような気がして、肩から力が抜けて、指がすっと鍵盤に置かれた。

審査員も会場の観客も、誰もが・・・その一瞬漏らした笑みを、見逃さなかった。本番前に微笑む人間など珍しかった。その笑みに、審査委員長が思わず目を細めた。



――夢をかなえておいで・・・



蓮が最後にキョーコに伝えた言葉もまた、キョーコの耳には再度繰り返されていた。



キョーコの強く確かな視線が、コンダクターにOKの合図を送る。



そして、最後の一音を弾き終えた時、集中しきった震えと共に一筋流れた涙は、誰のためのものだったのか・・・キョーコが流してきた涙の種類の中で、一番、温かかった。














2007.08.01


タイトルはAerosmithさんの同曲名より。