Daydream19 -Sonate fur Klavier Nr.23 'Appassionata' op.57《熱情》-



フランスに着いてすぐに、土屋さんとホテルのロビーで合流をした。敦賀さんは撮影が入るといって、土屋さんと共にそのホテルからすぐの撮影場所へと向う手はずになっていた。私はホテルで待機しようと思ったけれど、土屋さんがそれを許さなかった。


スタジオに着くと、敦賀さんはスタッフに挨拶をしてまわり、最後にスタジオに足を踏み入れた。そこでは聞き覚えのある明るい声がした。「あれ・・・」と声が先に出て、私が挨拶をするより先に既にその腕の中にいた。


「キョーコ!」


ぎゅう〜〜〜〜と背の高い影に強く抱きしめられて、頬に軽い唇の感触。それがレオさんだとしっかり確認できたのは、離してもらってからだった。挨拶だと分かっていたけれど唇の感触に思わず敦賀さんを振り返って、彼も分かっていたように、ふ、と一つ息を吐いた。

「レオさん???こ、こんにちは???飛行機同じ便だったんですか?」
「オレはキョーコと食事をした次の日の夜先に入ったんだ。」
「あ、あんなに飲んだのに…よく…。」
「オレは一切酔わないよ。酔わせるのが役目だからね。」
「………?。」
「キョーコちゃん、レオの言う事はいちいち真に受けなくていい。」
「レン。今度また飲み比べをしよう。今度こそ数日かけても決着を。」
「あら、レオとキョーコちゃん、面識があって?」
「イタリアで偶然会って、敦賀さんに紹介してもらいました。」
「レオ、キョーコちゃんを口説いたらダメよ?蓮様のモノだから。」

土屋さんが綺麗な英語でレオに話しかけると、レオさんはぷくりと可愛く頬を丸く膨らませた。

「みんなオレを何だと思ってるんだ。」
「手の早いイタリア人、だろ?」
「レン!!!」

笑っていたら、敦賀さんはばさっと着ていたシャツを脱いで、薄いグレーのTシャツ一枚になった。

「蓮様、着替えはいつもの部屋でね。」
「あぁ、はい。少し暑いな、ココ・・・。土屋さん、スタジオの温度下げてくれませんか?冬服着るのに汗かきたくない。」
「あぁ、そうね。ふふ・・・蓮様相変わらず夏が得意ではありませんの?」
「日本の京都の湿気に比べたらまだマシですけどね。」

敦賀さんは笑って私の背中を押した。スタジオを後にして、控え室に向かう。すれ違う敦賀さんと同じ背のある人たちが、にこり、と私に笑いかけてくる。敦賀さんが誰かを仕事場に連れてきたのが珍しい、といった目だった。

「誰もいないから入って。着替えはいつもオレが最後だから。」
「はい。」

敦賀さんの後について入ると、沢山の服が所狭しとハンガーにかけてあった。「Ren」と書かれたところに、敦賀さんのサイズで今日着るべき服が順に並んでいる。その一番右端に女性モノの黒のドレスが置いてあって、敦賀さんは「君のだよ。」と言った。

「え?私ですか?」
「土屋さん、君を撮りたいと言っていただろう?新しいブランド立ち上げのイメージにするようだよ?君、ホラ、黒のドレス似合っていたから、君ぐらいの年齢向けに作るんだろうね。契約はとりあえず一度撮って試してから、みたいだけどね。」

ばさり、とテーブルの上に敦賀さんはそれを置いて見せてくれる。全て黒いシルクで出来ているドレス。手触りがとても気持ちが良かった。腰の切り替えは紐で少し絞られて、ふわりとしたスカートのすそは何枚も重なり、ピーターパンかフェアリーといったようなその黒いドレスを見て一目で気に入った。敦賀さんがTシャツを脱ごうとして、腕を身体の前で交差させたので驚いて部屋を出ようとすると、「今更。君も着替えればいいのに。」と敦賀さんは笑い吹いた。そしてその数分後、黒のドレスの背中のジッパーを上げたのは、敦賀さんだった。

「よく似合う。」
「そ、そうですか・・・?」

敦賀さんは照れもせずに、まっすぐに瞳を覗いてそう言った。照れて下を向いたところにそっと首元に指が這った。すりすりすり…といつもの場所を撫でる。

「・・・残念だけど、今日は『オレの特権』も消してもらわないとね・・・・。」
「・・・・?」
「もしかしたら世界の雑誌に載るのに・・・・オレのモノだと・・・・付けて置きたいんだけどね・・・。」


一瞬すごく照れて、まるでレオさんのような言い草に「何を言っているんですか」と言おうと思ったのに、敦賀さんの細めた目はとても真剣で、軽口を叩いている雰囲気ではなかったから、その言葉を全て飲み込んだ。


「レン、時間だよ。」
「・・・・・OK。」

トントン、と扉を叩いて開けたのはレオさんで、ひょこり、と後ろから首だけ覗いたのは土屋さんだった。

「キョーコちゃん、可愛いわ。思った通り。さあメイクして差し上げるから行きましょう?思わず蓮様が見とれる素敵なモデルメイクをね。」
「あ、はい。」
「キョーコ、カワイ〜!!」

どこか重くなった雰囲気を振り払ってくれたのはやはり満面の笑顔のレオさんで、私の首元から手を離した敦賀さんに、「手の早い日本人め。」と仕返しをしていた。

敦賀さんもレオさんも、そして私も、撮影用の濃いメイクを施された。『東洋人らしさ』を出すために、黒の髪のウイッグ、黒いドレス、そして、濃い紅い口紅。爪も短いながらも口紅と同じ綺麗な紅い色が乗った。こんなに濃い色をつけた事が初めてで、自分で自分に見慣れるのに少々の時間がかかった。


「ワオ、キョーコ、ライクヤンクィフェイ!!」
「ヤン???」
「楊貴妃・・・だっけ・・・?中国の美人の代名詞の人みたいだって。」
「それは言いすぎです、でも変じゃないですか・・・?」
「うん・・・。」
「オー。レン、テレヤサン!」
「なんでお前はそんな変な日本語だけは知っているんだ…。」
「ふふっ・・・レオさんもカワイイ。」

屈託の無いレオさんの笑顔は、どこまでも明るい。初めての場所で、敦賀さん以外に彼がいてくれるのはとてもありがたかった。




撮影が始まると、怖いぐらいに鋭い視線の二人に変わった。いつもの明るいレオさんとは180度違う、モデルらしい無機質な雰囲気を一瞬にして作る。敦賀さんの視線も同様。そして、敦賀さんとレオさんのペアで撮るその息の合いようは、とても言葉にしがたかった。土屋さんも私に「レオは蓮様と息が合っているでしょう?」と耳打ちをした。カメラマンも殆んど指示をしない。彼らは背を向けるタイミングも、足をやや引くタイミングも打ち合わせたように同じで、レオさんがやや斜めを向けば敦賀さんは一歩後ろに引き、腕を腰に当ててバランスを取った。

シャッター音の間隔は二人にとってはリズムであり、カメラマンは指揮者と同じで、そのカメラマンのシャッター音のクセに合わせるのだと敦賀さんもレオさんも、不思議がった私に交互にそう言っていた。そして視線の流し方も動きも互いのクセが分かっているから、単に慣れた動きがそう見えるのだと敦賀さんは後から教えてくれた。けれどレオさんはかつて敦賀さんが全てを話した人間でもあるし、何年も一緒に生活しただろう二人、私などが入りがたい程にそこには無言の強い信頼と、彼らの音楽家以外の「プロ」としての別の顔があった。

音楽の世界だけで生きてきた素人目には、そのリズムのとり方はさっぱり分からなかった。そして「音楽以外」でも生きている彼らをとても羨ましく思った。ショータローにだって、「プロ」としての別の顔がある。彼らは二足のワラジ、ではなくて、音楽が別の世界に生かされている。


「キョーコ?」
「あ、はいっ。」
「キョーコちゃん、どうした?」
「いえ・・・二人に見とれていただけです。」
「次は君の番だよ?」
「はい・・・でも敦賀さんとレオさんのようには行きそうにありません。」
「キョーコちゃん、蓮様にも入ってもらいましょう?どうせなら二人の写真にしたいわ。あぁ、蓮様?ハンガー一番右の服を着ていらして。」

驚いて面食らった敦賀さんに笑顔で押し通した土屋さんはさすがで、強かった。

「君とおそろい、って感じかな。」

戻ってきた敦賀さんはそう言って、シンプルな白いシャツに黒いジャケット、パンツ、黒いネクタイ姿を鏡に映した。

「パーティに出席するみたいです。」
「そうだね、コレ貰って今度のパーティはコレにしてペアで出よう。」
「はい・・・。」

私の手を引いた敦賀さんは、用意されたソファに座り、私は敦賀さんの横に座った。

「キョーコちゃん、大丈夫だから、リラックスしてね。」

土屋さんは、にこり、と笑ってそう言って、離れる間際にもう一度手に持っていたお粉をはたいて、唇に色を重ねてくれた。

「つ、敦賀さん〜〜〜〜。」
「大丈夫だよ・・・。コンセプトは君ぐらいの女性がパーティに着て行く服。オレを入れたって事はペアも狙ってるんだろう。なら、オレを普通に彼として見ればいい。表情作ったっていいよ。ですよね?土屋さん。」
「ええ。蓮様とキョーコちゃんがやりやすいようにやって頂戴。試しなんだから。」
「できそうにないなら自己暗示かけてごらん・・・?やってあげようか・・・?」
「はい・・・・。」
「『・・・・・キョーコちゃん・・・・』」
「『・・・・・蓮・・・・?』」
「『そう、そのまま・・・・オレの目を見ていて・・・・君は、今オレの恋人で・・・・パーティ会場のソファ・・・・』」
「『・・・・・はい・・・・。』」
「『・・・・・・・・・ゆっくり足を組んでごらん・・・・?そして、右ひじは右の太もも、右手は顎に・・・』」

遠くの方で一度シャッター音がする。もう一度、そしてもう一度・・・・。徐々にそれは気にならなくなっていった。その音よりも、敦賀さんの暗示をかけていくゆっくりした低く艶のある声が耳に心地いい。それと共に撮影の緊張は解けて無くなり、直接脳に響くその声だけに従っていたくなった。彼はゆっくり語り掛けながら、私の身体の形を様々に変えた。シャッター音が鳴るタイミングは、その一つ一つの緩慢な動作が終わり、視線をどこかに動かした瞬間だと気付いたのは、撮り出してから少したってからだった。

緩慢な動きはそのリズムが上がっていく。敦賀さんの声も少しずつ早くなってくる。シャッターの音が早くなる。完全に敦賀さんの声に支配された私の動作も徐々に速くなっていく。シャッター音が遠くで気持ちよい間隔でするようになり、敦賀さんも集中しているのか、上がった体温が頬のすぐそばで感じられた。見上げて瞳を見つめる。


「プロ」の無機質な目が、私を見下ろしていた。


「『・・・・・力を抜いて視線をカメラに・・・・。』」


そう言われて、ぱたり、と完全に腕の力が抜けて、左手をドレスのスカートに落としたところで、首に腕を回した敦賀さんは、強く私の身体を引いた。勢いよくその身体にぶつかった。真っ赤な口紅の紅い色が、シャツにくっきりと付いたのを、頭の片隅の遠くの方で認識したけれどそれはどうでもよく、首から肩にかけて回された彼の片腕の重みで身体は動かず、言われた通りそのまま視線だけをカメラに流した。


「『そう、そのまま・・・視線を残したまま身体だけ動かしていって・・・・・』」


ゆる、ゆる、と身体が動く。周りの声と音が逆にどんどん緩慢に聞こえる。シャッター音が止まらなくなっていた。敦賀さんは右片足をソファの上で立てて、そこに腕を乗せた。首からゆっくり降ろした左腕で私の腰を引く。一人の王がそこにいるような、尊大な雰囲気を醸し出したのを、目で見るでもなく肌で感じた。無意識に、まるでコンクールの時のような完全に集中している時と同じ鳥肌が立った。


「OK!」


そう遠くの方で声がした。そして、シャッター音が止まった。がやがや雑多な声が沢山し始める。腰に回された手が外れたのを認識して、ぼんやりと敦賀さんを見上げると、ぱんっ・・・と目の前で敦賀さんが手を叩いた。目が、覚めた。暗示をかけて解けた後の、寝て起きた後のようなすっきりした感覚がした。

「覚めた?よく出来ました。」
「よく、分かりませんでした。私の実力ではありません。敦賀さんの声のするままにやっただけですから。」
「その集中力が初めてで出せるなら十分だよ。」
「それだけすぐに暗示がかけられる敦賀さんがスゴイんです。暗示法も敦賀さんに習い直さないと。」
「くすくす・・・君がかかりやすいんだよ・・・・。」
「む・・・・。」
「心が開いている証拠だろう?良いコトだよ。」


・・・・・敦賀さんだから・・・・とは恥かしくて言えなかった。そして敦賀さんのシャツに付いてしまった真っ赤な口紅と自分の唇の形に照れた。

「その首元は消してしまったけど・・・・オレは君のものだと・・・・世界に言えたかな・・・・。」


すり、と一度だけ私の首元を撫でて、ふ、と目を細めて笑った敦賀さんは、また真剣な顔をしていた。気付いたらシャツの裾を掴んで、立とうとした敦賀さんの動きを止めてしまっていた。


「どうした?」
「いえ・・・きっと、ほっとして腰が抜けているんです。」
「立たせてあげましょうか?お嬢さん?」


くすくす笑った敦賀さんは私の腕を引いて立たせてくれた。レオさんが、どこから持ってきたのか花束を私にくれて、「キョーコ、キョーコ」と花束ごとぎゅうぎゅうに抱きしめてくれた。

「レ、レオさん〜〜〜???」
「レオ。」
「もう、レオ!!!貴方感情表現がストレートすぎるのですわ。キョーコちゃん、困っているでしょう。」
「キョーコ、最高に良かった!!蓮に負けてなかった。キョーコ可愛い!!!」
「ありがとう、ございます。」
「もう〜〜〜レオ〜〜〜〜離れなさい〜〜〜〜!!!!」
「良いモノを良いと言っているだけなのに〜〜〜。」
「そうね。けど、キョーコちゃんは蓮様のものなの。」
「オレが一番良く知ってる〜〜〜。」


苦笑いを浮かべている間に土屋さんが離してくれた。腕の中の花束は、少し花が落ちた。その花束を飾ったのは、その日の5時過ぎだった。ホテルの一室に花を飾った後、仕事を終えた皆で食事をしに行った。英語が飛び交うその会話の中に付いて行けずに、敦賀さんとレオさんの間に挟まれて、美味しいフランス料理と美味しいワインを、心行くまで集中して食した。

緊張の解けたせいかまるでクセのないワインはするりと胃に入り、帰りは少しだけ足元がふわふわした。敦賀さんが腕を絡ませてくれた。そのままずっと、身体に寄り添って部屋まで帰った。


相変わらずピアノの置いてあるそのホテルの部屋で、敦賀さんの弾く、次回演奏用の曲を軽く酔った頭でぼんやりと傍で聴き、終わると、レオさんを真似して、ぎゅう、とその首に巻きつき、良かったです、と直接耳に伝えた。

「たまには酔わせてみるのも、いいね。」
「ふふ・・・。私以外を酔わせたら怒ります。」
「ふ・・・・。その唇の紅い色・・・すごいそそられるよね・・・・。」


くい、と顎を引いて、敦賀さんは私の唇の上に乗っている色を拭うように強く何度も何度も吸った。敦賀さんの目はやはり真剣で、いつものどこか「冗談だよ」という優しい隙はなく、とても「敦賀さんもレオさんと一緒でストレートです。」とは口に出来なかった。そして酔った勢いだったのか、敦賀さんの唇に移った赤を取り返すように、今度は自分から唇を吸いたてていた。


「愛してるよ・・・・」と、あの暗示をかけるような穏やかな声が、耳に忍び込む。「すき・・・」と返しながら再び唇を吸う。見るでもなく肌で感じる事ができるようになった、敦賀さんの私を包む腕が、全てが、とても優しくて、愛しい・・・。心から愛されている。


『私のモノと、世界に言ってあげたい・・・。』


そんな独占欲という初めての感情も肌で感じながら、敦賀さんの首元に唇を這わせた。
敦賀さんの香水のラストノートが甘くにわかにする。
目的のそこまで辿り着き、そこをぺろり、と舐める。
そしてその肌を強く、吸い上げた。


自ら初めて「私のモノ」と・・・鬱血の、真っ赤な痕を、つけた。















2007.02.19