【Daydream 13 -Sweet Reverie《甘い夢》-】


穏やか過ぎるほど穏やかな一週間の最終日、敦賀さんはソファで寛いでいた私の横で、「今度帰ってきたあとは・・・長いよ・・・」とぽつり、と呟いた。視線を敦賀さんに合わせると、敦賀さんは、ふっと笑って、その独り言を呟く事で、私に何か言いたいようだった。

「長いって・・・どれぐらいですか?」
「半年・・・長ければ1年、共演、全世界で巡ろうと・・・誘われてる。明日から・・・ヨーロッパへ巡業しに行くんだけど・・・それが2ヶ月。そこから帰ってきたら、かな。多分。」
「日本には・・・殆んど居られないんですね・・・・」
「そうだね・・・だから・・・君のピアノをずっと見ていてあげたかったけど・・・しばらくの間、無理そうだよ。こうして一週間だけ戻ってきてあげる事はできるけどね・・・・1ヶ月居られる日があるかな・・・とにかく今は仕事を選り好みできる段階ではないからね・・・。」
「はい・・・。」
「大丈夫?一人で・・・」
「それはもちろんっ!だって・・・先生もいらっしゃるし・・・。」
「くすくす・・・そうだね・・・・。だけど、たまには君の彼として「寂しい」の一言があってもいいと思わない?」

多分私の頬は照れて赤かっただろう・・・。ちゅ、と音を立てて軽く私の唇を吸った敦賀さんは、さてと・・・・と言って、立ち上がった。

「用意しないとね。」
「一週間、すごく・・・楽しかったです。」
「ふ・・・・ピアノ、楽しそうに弾く君を見ているのが・・・・楽しかったよ。」
「はい・・・ピアノと楽譜・・・・とにゃんこは・・・・私が見ておきます。」
「おやおや、急に寂しくなった?」
「そんな事はっ・・・・。」
「君は泣き虫だからね・・・・。さて、じゃあおいで。会えない間の分纏めて愛してあげるから。寂しかったら泣いてもいいよ?用意はその後にしよう。」


さらに赤くなった私の腕をさっさと引っ張った敦賀さんの手は、優しかった。



気がつくと、敦賀さんはもう居なかった。そして、置手紙とこの家の鍵、そしてカードが置いてあった。

「猫の餌そろそろ無くなるだろ?あと必要な物があったらコレで。また手紙書くよ。」


短い手紙・・・・。


誰も居ない部屋と、敦賀さんの香りとまだ少しだけ残るぬくもりに、やっぱり急に寂しくなって、少しだけ涙が、落ちた。ベッドにやって来て、傍で丸くなっていた白猫が、ぺろり、とその涙の跡を舐めてくれた。まるで敦賀さんがするようで、分身のような猫のしぐさに、泣き笑いが、出た。


こんなに、アイツ以外の人間に思い入れた事が無かったから、そのうち敦賀さん無しでは生きていけなくなりそうで、自分で自分が怖くなった。


敦賀さんが、一週間の間、たまに一人で外に出ることがあった。その時は私も部屋に帰り、モー子さんにばれて冷やかされ、また部屋を出た。

私がたまたま学校裏の噴水に行き、帰ってきたその時。敦賀さんは、その手前の公園・・・限りなく死角に近いところで、「キョーコちゃん」だと名乗った女の子と会っていた。この学校の子らしく、お嬢様という雰囲気が溢れ、整った目鼻立ちと、綺麗な面持ち。まっすぐの長い髪が風に揺れて綺麗な子だった。並んでいると絵になるなあ・・・と他人事のように観察したりして・・・。

けれど敦賀さんが一体どんな反応をするのか・・・・卑怯ながら興味本位で、噴水の隠れた入り口から、出られなくなった。敦賀さんは、ベンチに腰掛けた。その子が横に腰掛けて、にこり、と笑うと、敦賀さんも、見たことが無い極上の笑顔を見せた。キラキラ後光が差しそうな・・・・終始笑顔。けれども、敦賀さんの台詞は反してそんなに温かくは無かった。

「君が、「キョーコちゃん」なの?」
「はい。」
「そう・・・・なぜそうだと言い切れる?」
「・・・・・敦賀さん?」
「さて、石は?」
「・・・・・・・疑っているんですか?」
「さあ・・・本当の「キョーコちゃん」なら、オレが世間に与えてない情報も全部知ってる。君でもうね、5人目なんだ・・・・。」


知らない間に、既に「キョーコちゃん」と名乗る人間に5人も会っていたらしい。そして、どれも「違う」と敦賀さんは判断したのだろう。


「なぜ・・・では敦賀さんは、違う、と言い切れるんですか?」
「え?」

逆に聞き返されて、敦賀さんはさらに笑顔を強めた。

「言っただろ?本人にしか分からないオレの情報は沢山ある。覚えているかはまぁ…別だけどね・・・。」
「覚えてない、と言った子たちだって・・・・本当の子かもしれない。」
「そうだね。だけど、「違う」。その判断基準を君に話しても仕方ないだろう?さて、君は?」
「ふふ・・・はなから、私を「違う」と分かってて・・・会いました?」
「・・・・・そんな事は、無いけどね。」
「やっぱり。私は友人のためにそれを確かめに来ただけですから。」
「友人?」
「貴方に「違う」といわれた子の一人です。泣いてたから。」


な、なぜ・・・・敦賀さんに「違う」と言われて・・・その子が泣くのかしら・・・???だって、キョーコちゃんは・・・・・。

そういうと、敦賀さんの後光の差しそうな笑顔は、ふ・・・と笑った後、いつもの穏やかな顔に戻った。

「友達思いだね。」
「敦賀さんに泣かされたと・・・聞いて、一体どんな対応されるのかと思って。」
「あぁ・・・泣いた子、一人いたね。」
「優しく抱きしめられたって・・・・慰めてくれたって言ってましたけど・・・・。」

それは、・・・・・・敦賀さんだから・・・・と、どきりとしたと同時に、心の隅で、誰にでも優しいだろう敦賀さんに、少しだけ嫉妬したのは確か・・・・。

「敦賀さん・・・そんな公開募集して…どうするんです?」
「・・・会いたいだけだよ。」
「じゃあ、私だっていいじゃないですか。会って、敦賀さんが「したい」と思っている事をすればいいのに・・・。」
「そうだね、そんな自己満足で済むなら、いいね・・・。」
「・・・・・?」
「君が、キョーコちゃんだったら、良かったね。」
「そこまでして会いたい理由…なんて私に言っても仕方ないでしょうけど…」
「あの子が居なかったら、オレは、存在しなかったから・・・。」
「・・・・まるで、思い出に恋をしているみたい。」
「くすくす、そうかも、そうかもね・・・言うとおりだよ。」


その子と、敦賀さんの会話は、いつの間にかすごく自然で、初めて会ったはずなのに、敦賀さんから私が聞きたかったことをすんなり聞き出していた。それが、とても、羨ましかった。


「じゃあ・・・。」


と言って、立ち上がろうとした彼に・・・・その子は、身体で押さえ込むようにしてきゅうっと首に抱きつき、そして、れん・・・と耳元で囁き、そのまま唇に口付けていた。

「な、何?」
「キョーコちゃんの真似。コーンって呼んだほうが良かったですか?」
「ふ・・・。」


どきり、と心臓がおかしな動きをした。敦賀さんは、怒らなかった。ただ静かに微笑んで、そういうのは、好きな男にだけすることだよ・・・といつものように、穏やかに牽制した。

「好きです。」
「え・・・・?」
「最初は・・・貴方に泣かされたと言ったあの子が・・・本当に貴方に恋をしてた。泣いたあの子を慰めようと、貴方の事すごい調べて・・・CDを、映像を聴きまくってた。いつの間にか、私が貴方を好きになってた。だから、余計に会ってみたくなった。」
「ふ・・・ストレートだね、聴いてくれてありがとう。好きになってもらえて嬉しい。だけど・・・。」
「・・・・だけど・・・・「違う」んですね・・・?それはそうですよね、会ってすぐですし。」
「オレにもね、大事にしたい子がね、いてね。」
「最上キョーコ・・・・ですか?あの子・・・敦賀さんが嫌いで有名でしたけど・・・アレは嘘だったのかしら?そういえばあの子も「キョーコちゃん」ですね。そうだと名乗ったんですか?不破尚と噂みたいですけど…貴方とも付き合ってると噂ですね。」
「いや?名乗ってないよ。だけどね、あの子の音に、オレが惚れてるだけ。」
「音が好きなんですか?それともあの子の両方?」
「ふ・・・両方、だよ。」
「・・・・・・・。「キョーコちゃん」は?」
「それはそれ、コレはコレ。どっちも大事なんだ・・・・。」
「じゃあ、「キョーコちゃん」が本当に出てきた時、貴方は・・・一体どうするんです・・・」
「・・・・・ふ・・・・。大丈夫だよ。それはそれ、コレはコレ。」
「そんなの・・・って・・・・。」
「世間に言いたければどうぞ。オレはあの子を大事にしてるし、あの子がオレの音に惚れてくれている間は…愛し合っていると思うけど…。不破は関係ないよ。隠したって仕方ないし、賢いだろう君が言う事も無いと思うけど。」
「フラれた腹いせに・・・するかもしれないのに?」
「ふ・・・どうぞ。オレは何も隠そうとは思わない。噂なんてその内どこかから漏れるだろ。別に悪い事をしている訳じゃない。」
「・・・・フラれたのに、私は涙も出ない。ふふ。やっぱり友人の代理、だったかな。私、チェロ課なんです。泣いた友人も。いつか、共演出来るところまで私も上り詰めて・・・音楽で敦賀さんに「惚れた」と言わせて見せますから・・・・。」
「うん、待ってる。名前は?」
「手紙の名前も覚えずに来たんですか?本当に最初から「違う」って思って会ってませんでした?尾上響子、音が「響く子」ですよ。今度会うときに忘れていたら承知しません。」
「確かに、キョーコちゃん、だね。」
「そうですよ、それは嘘じゃありません・・・じゃあ。」

そう言ったその子は、置き土産のように、もう一度敦賀さんの唇にちゅ、と口付けて、今日勇気を出して頑張った思い出に、と付け加えて悪戯っ子のような爽やかな笑顔で去っていった。


泣いていたのは、私。心も、身体も、全身で動けずに、静かに泣いていた。
敦賀さんが、彼女に伝えた言葉が嬉しくて、そして、あの子が敦賀さんに口付けるたびに、嫉妬をしている自分がいた。いつの間にこんなに独占欲が強くなったのだろう、少し前まであんなに私は彼が嫌いだったのに、と。


「さて…そこに隠れているお嬢さん。出ておいで。」


・・・・・・・居たの、知ってたの・・・・?


「キョーコちゃん・・・・おいで。」
「・・・・・・・・」
「泣いてるんだろ?」
「・・・・・・・・」
「仕方ない・・・オレがそっちに行くか・・・・。」


がさがさ、と入り口を掻き分けてきた敦賀さんは、私を見つけると、「泣き虫め・・・」と苦笑いで抱えた。


「何故泣くかな・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「オレは君を大事にしてると言っただけだろう?」
「だって、だって・・・」
「君が噴水に向かったのは見えてたんだ。使おうと思っていたのに・・・。仕方なくあの場所になってしまった。」
「・・・・・本当のキョーコちゃんが・・・出てきても来なくても・・・その子が私よりもずっと可愛くて、ずっと音が綺麗で旨くて、敦賀さんの心を捉えたら・・・・振って下さいね。」
「はは・・・。君の音に惚れてるのは事実だけどね。君を…大事にしているのも事実だよ。」
「敦賀さんのばか・・・・。あんなに可愛い子に告白されて断るなんて・・・・。キスなんて・・・キスされてる敦賀さんを見て・・・気持ち、ぐちゃぐちゃ・・・。」
「くすくすくす・・・・オレ、愛されてるのかな?可愛いね。でも・・覗き見をした君が悪い。」
「キスされるのがいけないんですっ・・・・。他の子にもし敦賀さんからしたらまた泣くからっ・・・。」

ずず・・と鼻をすすり上げると、敦賀さんは笑った。

「確かに君に泣かれるのが一番堪えるな・・・。鼻水拭きなよ・・・くすくす・・・。」
「ばか・・・。敦賀さんのばか・・・・。」

よしよし、と言いながら頭を撫でて、敦賀さんは「ところで何で泣いているのかな?」と言った。

「む〜〜〜〜〜〜敦賀さんのばかっ。」
「ホント、負けず嫌いだよね。素直に「好き」って言ってくれないと。」

キスをしようとした敦賀さんの唇を止めたのは当たり前。

「あの子にキスされた唇で触らないで下さい。」
「くすくす・・・じゃあココで我慢しよう・・・。」


首筋に口付けてぺろりと舐めた敦賀さんは、「さて、部屋に帰るとするか・・・。」と言った。

「なんで・・・あの人を・・・・「違う」って・・・分かるんです?なんで・・・違うと分かっているのに、会ったんです・・・・?」
「何でかな・・・・。くすくす。」

敦賀さんは、あの人に話すように、私には自然には問いに答えてくれないことがある。
私だって、「キョーコちゃん」だと・・・どれ程敦賀さんに言いたい事か…。

言いたいけれど、言えない。言えない間は、こうして敦賀さんは「キョーコちゃん」に会い続け、探し続ける。違う、と、どこで線引きをしているのかは分からないけれど、敦賀さんが、いつか「間違って」本人だと言うかもしれない。

それはそれ、コレはコレ。けれど、それを傍で見続けるのは、すごく苦しい。探しているのを分かっていて、ウソがかさんでいく・・・・。

「キョーコちゃん・・・」と、敦賀さんは私をまるでその探している「あの子」を呼ぶように、私に優しく問いかける。

『思い出に恋をしているよう・・・』
その言葉に、私の胸は、また苦しくなった。


「敦賀さん、お願いがあるんです。」
「何?」
「あの・・・夜…呼んでくれる時…最上さん、が、いい・・・。」
「キョーコちゃん・・・はいや・・・?」
「・・・・・・・」
「ラブミー部の仕事みたい?それとも…昼間の事、気にしてる・・・?」
「・・・・・・。」
「君を探しているキョーコちゃんの代わりにはしてないんだけどね…気になるなら…。それともキョーコ、にしようか?」
「や、いいですっ、最上さんでっ・・・・。」
「何を照れてるのかな・・・?君に惚れて、離せないのはオレの方だよ。君が…オレの音を好きでいてくれる間…は、オレのモノでいて欲しいけどね。」

でも、と続けた敦賀さんは苦笑いを浮かべた。

「愛してると・・・言ったところで、君は信じてないだろうしね。それに…っ…」


あの子のように、敦賀さんの、唇を奪ったのは、私。


「遠距離だとは、思いたくない・・・音がすぐそばにあるから。今は、敦賀さんが好き・・・。好き、好き・・・。」
「・・・・君は・・・・・。」


目を見張った敦賀さんの顔と、その日の互いの感情をぶつけ合うような恋が、忘れられない。敦賀さんが今までになく、掠れた声で「キョーコ」と・・・確かめるように何度も繰言のように口にした。愛されていた。そして、私も多分、愛していた。



離れた1ヵ月後、敦賀さんから手紙が届いた。
中にはコンサートのチケットと、飛行機のチケットが入っていた。


「夏休み、暇なら黒いドレス持って一ヶ月ほど遊びにおいで。猫は先生のウチに。」


たった一行の手紙に、また涙が、流れた。


そして、先生にそのことを伝えると、「敦賀君があの時一週間帰ってきたのはね、君のためだったんだよ。」と言った。

「君が、きっと泣いてるって。」
「え・・・?」
「僕にも、君は何も言ってくれなかったのにね。敦賀君は…どうしても帰るって言って、直接ヨーロッパ入りするはずだったのをやめて、立ち寄ったらしい。愛されてるね。きっと一ヶ月でも二ヶ月でも着いていったら、色々と勉強になることはあるよ。敦賀君も仕事で行っているからね。学長には僕から良く言っておいてあげるから、敦賀君に勉強させてもらっておいで。その代わり僕にも色々と感想を教えてくれよ?猫は預かるからと伝えて。」
「はい、お願いします。行ってきます。」


――敦賀さんに次に会ったら、「ありがとう」って・・・・伝えなきゃ・・。


肝心な事は何も言わない敦賀さん。

敦賀さんの白猫に、「ねぇ、貴方の大好きなご主人様のトコに行って来るね。」と告げて、頬ずりをすると、また頬をぺろり、と舐めてくれた。




2006.09.10