【Daydream 12 -Morning Prayer《朝の祈り》-】





うぅん、と吐息のような小さな寝息を立てて、シーツの波の奥へ身を寄せた彼女は、ぐっすりと深い眠りについたまま、柔らかそうなうっすら紅色の頬をしていた。その無垢な頬に一つ口付けを落としてベッドから降りると、部屋の外には猫が待ち構えていた。


「おはよう、アリー」


猫の朝ごはんを用意して、シャワーを浴びる。ぼんやりとしていた頭がようやく目覚めた気分。キッチンでコーヒーを落として口にして、さらに目を覚ます。朝の柔らかな日差しが、薄いカーテン越しに入り込んでいる。アリーはそこでくるり、と尻尾を巻いて小さくなった。おなかがいっぱいなったのだろう。いつもの一休み。オレもぼんやりと小一時間ほど猫と共に時間と共に昇っていく太陽を眺めていた。

しばらくして、そっとリビングを覗いた彼女と目があった。


「おはようございます・・・。」
「おはよう。まだ寝てていい。」
「大丈夫です。」

オレのぶかぶかなシャツを着て、彼女は入りにくそうに扉に隠れたまま。

「コーヒー入ってるよ。ミルクは冷蔵庫にある。」
「・・・ハイ・・・。」

久々に会った彼女は、オレと話すのを、何故かものすごく照れて恥ずかしがっていた。またちらり、とオレを見やってから、とてとて・・・と小さな歩みでキッチンの前に立った。きょろきょろ・・・とマグを探して、コーヒーを注ぐと、ミルクをその入れたコーヒーと同じぐらい注いでいた。思わず和んだ自分の気持ちに、ふっ・・・と笑いが浮かんだ。

「み、ミルク入れないと・・・ご飯も食べてないのにっ・・・胃に悪いですよ?」
「うん、ありがと。でもそれは入れすぎだろう。」
「美味しいですもん。」

またちらり、とオレの目を覗いた彼女は、オレの隣にちょこんと腰掛けた。そしてオレが視線を向けると真っ赤になって、泳いだ彼女の視線は、白猫に向かった。

「照れてる?」
「・・・・・も、ものすごく・・・・。」
「ふ・・・・。」
「な、慣れていらっしゃる敦賀さんにはっ・・・・あ、当たり前の事なんでしょうけど・・・。」
「あぁオレ、朝・・・・誰かと一緒にいたこと、無いんだけど。」
「え?」
「オレ・・・誰かと一緒に寝るの好きじゃないんだ。」
「・・・・・・・・・・。」
「正しくは、好きじゃなかった、かな。君を抱えて寝るのは好き。」
「・・・・・・・・・・。」


疑いのまなざしと、また嘘ばっかり・・・というまなざしと・・・・。


「ホントだよ。言っただろ?割り切ってたって。一緒に寝る意味が無い。」
「・・・・・・・・。」

そう言うと、割り切っていた過去のオレを脳裏に浮かべたのだろう・・・俯いて目をそらした。

「割り切ってた子に、嫉妬したわけ?君以上に傍に置いた子なんていないのに。」


首と腰に腕を回して、ほっそりとした彼女の身体を腕に抱きいれる。見下ろした大きなシャツの隙間から、彼女の肌とオレの愛した跡がいくつも見えた。

割り切ってない彼女・・・に何度割り切ってないと告げても、信じてない。何度好きだと言っても信じてない。男なんてそんなものだから、というある意味どこか悟ったような眼差しを、感情と感情の隙間、きっと彼女は意識してないんだろう・・・・に向けてくる。


「あんなに・・・・昨夜は可愛く甘えてくれたのにね。どうしてオレの言う事を信じないかな。」
「っ・・・・。」


久々に会った彼女は、本当に可愛かった。会いたかったと・・・・言葉は少なかったけれど、全身でそれをオレに告げていた。どうせ泣く事が分かってたから腕の中に抱えたまま沢山話をして、泣いて、慰めて、口付けて・・・・。


「こうしてコーヒーを一緒に飲むのなんて君が初めてだと言っても信じないんだろうね。」
「う、ウソばっかり・・・女の子みんなにそう言って・・・。」
「信じたくないの?」
「信じられない・・・・ような事ばっかり・・・・言うからっ・・・・。わ、私は本当に初めてでっ・・・・アイツとは・・・もちろんこんな朝無かった、から。」
「分かってる。でもダメだよ・・・・他の男の話は・・・・。」

不意に彼の話を出した彼女の唇をそっとついばんで塞いだ。きゅっと逃げるように固く目を閉じた彼女に、またふっ・・・・と笑ってしまって、唇にかかったそれに、くすぐったそうにそろり・・・と目をあけた。

「あの・・・・・アイツなんかに・・・嫉妬したんですか・・・・?」
「そうだね。慰めて。」

そう言うと、どうしよう?という困惑した後に、なでなで、と空いた手で後頭部を撫でてくれた。

「ふ・・・今日から一週間、とにかくオレの傍にいて。ずっといて。気が向いたら好きにピアノ弾いて、おなかすいたらご飯を食べて・・・・のんびりすごそう。誰にも邪魔されず、二人だけの夏休み。ね?・・・・どうせ追っかけられてるから、バイト行けてないんだろ?」
「はい・・・・。」

今度はオレが彼女の後頭部を撫でていると、白猫も彼女の身体に擦り寄って、彼女のひざの上で丸くなった。



*****



アイツに負けて。ピアノを弾くのを少しだけ休んでいた。敦賀さんもいない。先生はしばらく私の好きにしなさい、と言った。学長は「まぁまぁだな」の一言だけだった。何か慰めを期待したわけではないが、「ピアノを辞めるな」という皆の気持ちだけは伝わって、同部屋のモー子さんだけは、「あんただけ抜け駆けしようとするからよ」と憎まれ口を叩いてくれた。


敦賀さんが帰ってきた日。パーティを後にしたあと、敦賀さんは私の気持ちなんか分かったように最初から腕の中。話しながら悔しさが滲んだ。慰める優しい声が降って来て、ずっと抑えていた感情は止まらなかった。また子供のように泣いて、泣き疲れて腕の中で眠ってしまった。

夜中、ふと目が覚めると、敦賀さんはベッドサイドのランプで寝そべったまま楽譜を見ていた。そっと覗き込むと、先ほど弾いてくれた「愛の夢」の楽譜。何を思っているのだろう。暗譜などとっくにしているはず。弾いてくれた音はやっぱり優しかった。なぜか敦賀さんは、「この曲はオレの一番の難曲になりそうだよ・・・・」と苦笑いを漏らしていた。


穏やかな一週間だった。多分、私の人生の中で一番穏やかで、優しくて、そして、何より甘かった。何もかもを忘れて、敦賀さんとの時間を過ごした。


好きに、思うがままに楽譜を取り出しては弾くピアノ。弾く事がこんなに楽しかったと、久しぶりにその感情を思い出した。そして、その感情を思い出させてくれたのが敦賀さんでコーンで・・・とても不思議で、複雑だった。


そして。敦賀さんに好きだと、愛していると、可愛いと・・・・事あるごとに囁かれ、女の子扱いを受けて、とにかく大事に、大事に扱われる。昼間はどこまでも優しい「紳士」で、優しい音でピアノを弾き、そして恋を囁く夜、不遜で尊大な「皇帝」になる恋に慣れた敦賀さんに、私はどうする事もできず、翻弄されたままどこまでも落ちた。


夜は、誰にも見せられない、甘ったるい時間が流れた。自分の気持ちの変化と行動に理性はどんどん置いていかれる。自分でも聞いた事がない、信じられないような甘ったるい声が、敦賀さんの耳元で漏れた。自分がこんなに誰かに甘えられるなんて。それがしかも尚ではなく、敦賀蓮で、そして、何より大事にしてきたコーンで・・・・・。


敦賀さんは、何度も割り切ってないと言う。言い訳に聞こえるような、私としてはいい訳としておきたいような・・・自分の中の複雑な気持ちは、今でもまだぐらぐらと揺れている。


考えなければならない事は沢山あった。


ピアノ、恋、自分、敦賀さん、アイツ。将来。たくさんの約束。


だけど今は、今このときだけは、敦賀さんの腕の中で甘ったるい夢を見ていてもいいかなと、少しだけ頑張った自分に、そう言い聞かせた。自分の感情を隠し、見ないフリをした・・・・。


子供のように、女の子のように甘えて、しがらみも何も無い、愛されてもいい、ただの一人の女の子に、一度だけ・・・なってみたかった。


夢を現実のものにしたくて、敦賀さんの首に自ら腕を回した。ベッドのシーツの波の上で、私は再び優しい口付けをねだった。また「可愛い…」と、敦賀さんは不遜な笑顔と共に口にした。背中を這った指先は、ゆるやかに、シーツの波の中に消えた。



敦賀さんの大きな手と長い指が今の私を作り出し、そして私の全てを優しく奏でてくれている。指先から伝わる心からの優しさは、徐々に私の全ての心を絡めとり、頑なだった心が、敦賀さんに向かってとろけるように柔らかくほぐれていくのが分かった。




その一週間、私は今までで一番穏やかで、甘い夢を、敦賀さんに寄り添い、見続けていた。












2006.07.26