【Daydream 10 -intermission-】


最近彼女が振り返る瞬間が一番好きで、宿題を弾き終わってオレが何もモノを言わなくても、彼女自身が「可否」をもう判断している。それでもその振り返ったあと一瞬の「敦賀さんどうですか…?」と言いたげな上目遣いがとにかく可愛い。

「一箇所だけ気になった。」

楽譜を捲り戻して、ココ、と指をさす。少しもたれたのが気になった。彼女もぺろり、と舌を出したから分かっているようだった。もうオレの解釈を既に深く理解しているらしい。もともと何でも耳コピーできるぐらいだし、不破の音も弾きこなし、先生の音も弾けるぐらいだから…オレの弾き方や解釈を覚えるのはそう苦ではないのだろう。課題の曲を次々とこなしていく。

「敦賀さん、あさってはもうコンサートですけど、私のレッスンしていて大丈夫ですか?」
「うん、もう打ち合わせは済んでいるし…空いている時間だから。」
「敦賀さんが練習しなくていいんですか?」
「また、聞いてくれる?」
「もちろん、いいですよっ?」


昔彼女と木陰で新たな「約束」を交わした日。彼女に帰りがけ寄ってもらって、音を聞いてもらった。なぜだろう、やはり…落ち着いたのかは分からない。音はぶれなかった。そして、「さっきはどこに問題があったんですか?」と…問題が指摘できない事に対して、自分の耳はまだ足りないようだと謝罪された。

ピアノを弾く時に、解釈は含ませて弾くものの、自分の感情に左右されるなんて事は今まで無かった。彼女に会って初めて覚えた。彼女を手にした今、愛の夢は…今度は弾けるだろうか?そう思って、今度のコンサートでもアンコールで弾くと言ったら、彼女は目を輝かせて喜んでいた。


コンサート用の曲を弾き始めた。「パガニーニの主題による狂詩曲」。これが自分の音色で弾けるようになった時には、既に他の国際コンクールでいくつか入賞はしていた。毎年開催されるならまだいい。数年に一回しかないコンクールもある。その中で入賞できた事は、喜ぶべき事だろう・・・・。でも、キョーコちゃんと約束したコンクールではなかったから日本へはまだ帰らなかった。意地でも優勝して帰ってきた事は、オレの中のケジメみたいなものだろう。


まさか、帰ってきてすぐに・・・・オレの腕の中に納まるとも思わなかったけれど・・・・。本人はオレが誰だか気付いてないにしろ、「本気でも割り切っていてもいいから、私は本気で好きになる」と……言ってくれた事が単純に嬉しかった。不破と同じように好きになってくれるなら、オレはもう手放す気など無くて、音楽も恋も何もかもを彼女に注ぎ込める自信がある。彼女が一生懸命心の中で「心の距離を置かなければ」と考えているのが見え隠れしているから、まだあの日以来、恋人というよりはただの教え子として傍にいる。もっと…徐々に距離を縮めなければいけないのだろう。けれど。オレの時間がそれを許さない。帰ってきたばかりだからまだ会えていたけれど。しばらくこの先…ここに帰ってこれる時間はそうそう多くない。


身体をねじって振り返ると、彼女はまた目を輝かせてすぐ傍にいた。オレが弾き終えて振り返るとき、彼女はいつも目を輝かせているなと・・・思った。昔・・・・キョーコちゃんが、オレが歌うさまを純粋に喜んでくれたように・・・・。


「敦賀さん、手大きくていいなぁ・・・・。」
「オレの音聴いてた?」
「聴いてましたよっ。でも、何も言うコトが無いんです。だからCDや機械のように完璧に毎回同じに指が動かせるっていいなって。職人の指ですね。それが感想です。」
「最上さんの手も可愛くて好きだけどね。」

そっと手を取ると、びくり、と身体が震えた。一生懸命、先生と生徒のように振舞って・・・・そういう雰囲気を出さないようにしていたのは気付いていたけれど。

「怖い?」
「え?」
「ここは防音だよ?何しても誰も気付かないからね。」
「あの・・・・?」
「くすくす、ウソだよ。何もしないよ。」
「あのっ・・・私、そーいうの・・・慣れて無くてっ。初めてだからどうしたらいいのか分からなくて・・・・そのっ・・・。」


真っ赤になる彼女は、「彼女」というのがどういうものなのか、どうしたらいいのかが分からないと言った。

「別にそこにいてくれれば…。ただ気持ちが先に来ればそう言うコトにもなるだろうけど。オレは君を裏切らないからね。・・・・・・だけど本当はね、もう来週以降世界各国に出てしまうから…君を完全にオレのものにしておきたいのは本音だけどね。でも全然気持ちがついてきてないだろ?」
「あの・・・。」
「無理はしなくていいから。本気でオレとそうなりたくなったら言って。」
「えっ・・・?」
「えっ、て何?」
「その・・・・私から言うんですか?」
「言わない限りは・・・・我慢しておくよ。・・・くすくす・・・。」
「あの・・・敦賀さんは、好きです。でも・・・。」
「くすくす・・・。ありがと。おいで。」


そっと近寄った彼女の腰に腕を回して、もう片方の腕で首を引き寄せた。ちゅ、と唇を音を立てて吸った。唇を合わせる事はだいぶ慣れたけれど、それでも照れて離れる時に一瞬目を伏せる仕草がまた可愛かった。

「オレからはキスだけにしておくよ。」
「あの・・・・どうして私なんです・・・?割り切ってそう言うコトがしたいだけなら、私じゃなくても・・・・。その・・・。」

・・・・・・・?

「そんな事、思っていたの?」
「え・・・?」
「君と付き合うことになった日「オレが割り切っていても、いなくても」と君は言ったけれど。君を好きな理由が欲しいのかな。それともどれぐらい好きなのか教えて欲しいのかな。」
「・・・敦賀さんっ・・・?なんか・・・こわいです・・・・。」
「答えになってないね。」
「だって・・・なんで私なんてって。たまたま廊下でぶつかっただけでしょう?モー子さんにお仕事が行くはずだったでしょう?私じゃなくても、言う・・・んぅ・・・」


やっぱり、オレの本音など何も気付いてない彼女を引き寄せて、唇を割って絡めた。その性急さに驚いて、彼女は身を一瞬強張らせて、そして腕でオレの身体を離そうと試みていた。けれど離さなかった。そして息をしようとする間から漏れる音に彼女が驚いて、真っ赤になって大人しくなった。何度も絡めて引き寄せた。そして一度離して彼女の身体を抱き寄せて、もう一度、絡めた。

「どうして君かって聞かれてもね、正直なトコ分からない。ただ君を自分のものにしたいと思った。可愛い。君が…他の男の腕の中で泣くのは我慢ならないと思ってね。十分な独占欲だと思うけど。」
「・・・?」
「割り切ってないって分かってる?君をどれだけ好きか見せてあげたいけどね。もう、今日は帰って。君に師として優しく出来る自信がない。」
「敦賀さん・・・・。」

彼女はオレの腕の中でじっとオレの目を覗きこんでは、何かを迷い探っていた。しばらく・・・かなり長い時間に思えたけれど、彼女はついに「蓮」と一言だけつぶやいた。

「どうした?」
「蓮。」
「なに?」
「蓮・・っ・・!」
「・・・・・どういう意味かな。」
「おねがい、キョーコちゃんって・・・呼んで、早くっ・・・」

オレの身体に向かって叫ぶようにして口にして、ぎゅっと抱きしめられた。オレが何も言わずにしばらく背中を撫でていると、そっとオレの表情を伺った。彼女は眉根にしわを寄せ、必死に何かの感情を隠したがっていた。



どうして名前でオレを呼んだのか・・・。いつもオレが彼女に使ってきた手。それを今返されるのは苦しい・・・。それでオレを呼ぶのは、「最上さん」としての返事では無いだろう。割り切るために・・・仕事として・・・・必死でそういうコトにしないと自分の中で全てが崩れてしまうと、そうしてオレの気持ちに応えるのだと解釈した。



呼べば・・・もう、自分が止まれないのは分かっていたのに。



「・・・・キョーコちゃん・・・・」
「蓮・・・がすき・・・・。」

立ち上がって・・・引いた彼女を羽交い絞めにした。
腕の中でもう一度ちいさくすき、と言った彼女の唇を塞いで閉じた。
そして離した唇を首筋に這わせた。


「この赤い痕にキスする特権は、オレだけのだよね・・・?」
「っ・・・」

オレのものだと、印を付けておきたくて。強く赤い痕を吸って…少しだけ上から赤く色づけた。それだけで、どうしようもうなく抱きたくなる。それを隠すようにしてひたすら口付けを繰り返して、抱きしめた。

「どうしたら君は信じる?」
「ごめんなさい・・・待って、お願い、待って・・・。」

半分涙目で久しぶりにオレを直視した彼女は、ぎゅっと身体に抱きついて、お願い、待って、ともう一度繰り返した。

「しばらく会えないのは分かってます・・・でも・・・。」
「・・・・・分かったよ。」
「お、怒ったんですか…?」
「いや・・・。君に次会えるのは・・・いつだっただろうと思ってね。さすがに各国に君を同伴として連れて行くわけには行かないからね・・・。その間に君がこの先の事を決めてくれればいい。それまでお預けにしておくよ。だから今夜だけはウチにいて。何もしないから。出来ればキスぐらいはさせて欲しいけどね。」

彼女の髪に指を埋めて後頭部を撫でる。驚かせてごめん、と言うと、彼女は首を振った。そして、話は最後まで聞いてくださいね、と付け加えた。

「敦賀さんが・・・すき。仕事をしている時の蓮として見ているときもすき。私はどうしたらいいんでしょう?」
「ふ・・・そんな事で迷ってたの?どっちだっていいじゃないか。オレはオレだよ。」
「そんな事ってヒドイですっ。真剣に考えているのに!!だって、だって・・・付き合うとか彼女とか・・・よく分からなくて。雑誌にあるみたく・・・そーいうコトになるのだって知ってます。だけど・・・敦賀さんは何もそーいうコトは今までしてこなかったから、割り切るっていうのはどういうのか・・・また分からなくて・・・。あのっ・・・だから、今夜はこのままココにいますね・・・?」

彼女は真っ赤になって最後オレの腰に腕を回して抱きついた。
勘違いしすぎている彼女に、オレの気持ちを伝える術も、やはり、もう一つしか残っていなくて。

「オレがどれだけ君を好きか見せてあげる。オレを受け入れて。」

彼女はオレの手を取ると指先にちゅ、と何かの契約のように口付けた。
返事の代わりだと思った。


一晩中彼女にオレの本音をぶつけた。彼女はそれをベッド上の口説き文句か何かだとまた勘違いしているようだった。彼女の本音はあまり口には出さなかったけれど、甘く高い声で呼び続けたオレの名前に、脊髄がぞくりと反応して酔った。そして、割り切ろうと思うのに心底オレを好きなせいで苦しいのだと・・・見て取れて、それならそうと口に出して欲しくて、またきつく抱いた。

そうして一つ一つ誤解を解く間に夜は明けた。重なる誤解を解く為の時間と、彼女がオレの身体を覚えるための時間は一夜では全然足りなかった。次に会えるのはいつだろうとまた考えて、何度も吸ったために随分と色づいた首元の赤い痕に口付けた。しあわせなけだるさの中、彼女を腕に眠った。





目が覚めたときはもう日が随分と高い位置にあった。彼女はまだ腕の中にいて、すやすや寝息をたてていた。いなくなっていなくてほっとしたのが半分。罪悪感が半分。この時間まで起きれないほど疲れたのだろう。何もかも初めての彼女の事を十分に気を遣ってやれたかどうか分からないほどに、自分の中の押し込めていた感情が雪崩れたのは確か。毎日のように会ってきたのに、もうしばらく会えないと思ったからかもしれない。もっと早く彼女に本音をつたえておくべきだったと・・・・すこしだけ後悔した。

「キョーコちゃん・・・起きて・・・?」
「・・・つるがさん・・・・?ひゃっ・・・。」

触れた身体は、すこしぬくい感じがした。

「熱ある・・・?ごめんね・・・。」

上掛けで身体を隠した彼女は真っ赤だった。

「あのっ・・・シャワー・・・貸してください・・・・。」
「ん・・・・。」
「敦賀さん、私・・・寝ている間に蹴ったりしませんでした?」
「くすくす・・・大丈夫だよ、そんな心配。君の身体の方がよほど心配。コンクールもうすぐだから・・・。体調も気遣ってあげられなかったら師として失格だよね・・・。」
「あの・・・しあわせで・・・・こんな気持ち知らなかったから。知ってみるのも手だと敦賀さんは言いましたけど・・・・。」
「それなら、良かったけど・・・。あぁ、ココの家の鍵とピアノの鍵渡しておくよ。いない間好きに使うといい。オレのキーケース渡しておくから預かっていて欲しい。」

サイドボードの上に置いてあったキーケースを差し出した手に渡した。

「・・・・・ありがとうございます・・・・。あのっ・・・流音ちゃんと一緒に帰ってくるの待ってます。弾いてあげないと・・・ピアノすぐに悪くなっちゃうからっ・・・勝手にココにおじゃましますけどっ・・・。それから・・・コンクールの前の日、電話してもいいですか・・・?」

妙に言い訳がましい彼女は、鍵の意味をとても重いものと思っているようだ。

「くすくす・・・前の日じゃなくても・・・こっちから電話するよ。練習の成果電話越しに聞いてあげる。だからサボったらダメだよ?」
「はいっ、先生。」
「ねぇ・・・「先生」はやめようよ・・・」
「ふふ・・・先生って呼ぼうかな・・・。先生な敦賀さんもすきです。」
「帰ってくるまで身体に気をつけて待ってて。君が何であってもオレもすきだよ・・・。帰ってきたら・・・一週間ぐらいココにいてね。全てを教えてあげるから。」
「えぇぇ〜〜〜っ」

柔らかくてぬくい身体をそっと抱き寄せて、彼女としばらくの間お別れをした。








第一部  完


   Thanks next,soon.


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2006.05.07