【Cross 9】





私にとってその日の午後はとても長かったような気がした。

撮影現場はヒソヒソとして、午後の入りだった敦賀さんの登場と共にさらにスタッフは私たちに気を遣った。

敦賀さんはそれを分かっているにもかかわらず、あまりに変わらないので、私は心底尊敬した。

先日ショータローが言っていた週刊誌の「ピンクのつなぎ」=京子だということはすぐにばれたようで、また京子の名前はKと伏せられて、また続編が載った。せめて、Kと伏せるように手を回してくれたのは社長だったようだ。

だからピンクのツナギは今日は着なかった。にもかかわらず、私を報道陣が囲む。社さんが冷静な声で「前からずっと社長命で彼女にやってもらっている。確認を取っていただければ分かります。」と言ってみても、「映画主演女優がそんな事あり得ない」と聞く耳を持たず、更に続ける。

「では、それだけ近くにいるなら、敦賀さんの想い人、知っていますよね?」と。


そんな人・・・・・私が教えて欲しい。


にっこりと笑顔を作るように社さんに言われていた私は、敦賀さん仕込みの似非笑顔を連発してその場をかわして、敦賀さんの車の後部座席に乗り込んだ。
社さんは今度は敦賀さんを迎えに行くといって、出ていった。

ショータローが「ざまぁみろ」とどこかで言っているような気がした。

車の中は外からは中が見えないのが救いだった。しばらくして、社さんが報道陣から守るように敦賀さんを連れて、車に乗り込んで来た。
外からは相変わらず、私と敦賀さんの関係をしつこく問う声が入ってくる。
敦賀さんと社さんが扉を閉め終わる寸前までマイクが差し入れられた。


シートベルトを締めた敦賀さんは珍しく不機嫌そうにエンジンをふかし、報道陣を振り払うように車を出した。

「いやー、キョーコちゃんもとんだとばっちりで、大変だったでしょ?」

社さんは、不機嫌な敦賀さんをちらりと見やり、私を見た。

「いえ・・・・。仕事ですから・・・。」

うっかり、元気の無い返事になってしまった私の様子を見た社さんは、独り言か、ぶつぶつと続けた。

「やっぱり社長に直接どうにかしてもらわないと・・・だめかなぁ・・・。」
「何を・・・・ですか?って・・・私が聞いてよかったら・・・・。」
「あぁ、うん、社長が一言「オレは立腹中だ」と言ってくれさえすれば、静かになるんだけどなぁと思ってね。ま、それも表向きだけだろうけどね。」

私の所属する事務所は業界にとっては怒らせてはいけない取引先の一つだから、かな。

「でもなぁ・・・多分社長は『男たるものこれぐらいじゃないと』って今は思っていそうだし・・・・。蓮にそういう記事が無かったのが不思議なくらいなんだから・・・。」

そうして、社さんはずっとぶつぶつと思案をしていて、私も敦賀さんもなにも言わず、無言のまま社さんを送って敦賀さんのマンションに着くまで一言も会話を交わさなかった。










「ご飯・・・冷めますよ?」
ずっと物思いにふけって、目の前のサラダと遊んでいた敦賀さんに、声をかけた。
「あぁ・・・うん。」
にこりと軽く笑って、敦賀さんは、何も無かったように箸を進めていた。

私は何も言わなかった。

相変らず無言のままの食事が続いて、片づけを手伝ってくれて、それが終わるとシャワーを浴びてくるから、と言って出て行ってしまった。

私はぽつんと、ソファーの上で膝を抱える。私の最近のお気に入りと化してしまった、やわらかいクッションを太ももの上に置くと、ぼーっと無意味な考え事が浮かんでくる。ひどく暗い気分になって、私は『コーン』を思い出した・・・・。

バッグからコーンをとりだすと、じっと見つめて、私は自分の心の中をうろうろと迷路にはまり込んだように、彷徨い始めた。


先日ショータローが言った事はやっぱり正しくて。敦賀さんの仕事に影響をきたしているのは必至で。マスコミをバカにしていたわけじゃない。でも、当事者になって分かる彼らのしつこさ。「否定」してもしなくても、結局は彼らのいいように報道が進む事。結局は事務所の力と金との駆け引きだという事。ショータローはそんなマスコミをうまく利用してここまでのし上がって来たんだろう。それは敦賀さんも同じ事。

マスコミに潰された芸能人は多いだろう。今度は私がターゲットに・・・なるのだろうか。ショータローに追いつく・・・前に。せっかくこの映画で、ショータローと肩を並べられるかもしれないと・・・思ったのに。

幸いな事に、社長は「まだ」私を守ってくれているらしい・・・。私が今できる事は・・・お仕事でいい成果を出す事だけ・・・。こんな感傷を引きずっている場合ではない。でもこれは女優「京子」の言い分。

「最上キョーコ」の言い分は・・・。本当は・・・・。

ひどく子供じみた答え。子供のわがまま。

敦賀さんが・・・誰かを思っているなんて・・・あんなに心から愛している人がいるなんて。それがとても苦しかった。それを・・・胸の痛みを心の奥で否定しようと一生懸命になってる自分がいた。

敦賀さんが演技の練習だと言ったあのキスは、最初は本当にそうだと・・・私も思っていて。でも最後・・・私は思わず敦賀さんを感じようと腕を伸ばしていた。紛れも無く私はあの時、イリアから最上キョーコになっていたんだと思う。私はそれを最初、自分も「リアリティの追求」だと思っていた。言い聞かせていたのかもしれないけれど。

でも、日がたって撮影が進むたび、私はリュークとの絡みを楽しみにしてる。敦賀さんの演技に直接触れられる、というのは建前かもしれない。リュークの直情的で熱い目が・・・あのときの敦賀さんの目と重なって、私は結局演じようと思っても、敦賀さんの演技に引きずられて・・・いいように翻弄されてしまう。本当のリュークとイリアのように・・・。そうしてだんだん、イリアと最上キョーコの境目が無くなってきて、遂にはどちらが自分の気持ちなのか分からなくなっていってしまう。演じている間は、とにかくリュークが愛しくて触れたくて、仕方がなくなる。

この頃敦賀さんはひどく優しくて・・・リュークがイリアを大事にするのとは別の、何か大きな腕で守られているような気がする。それが敦賀さんの優しさなんだと、例の博愛というものなんだろう。私がここに泊り込むようになって、一緒にご飯を食べてTVを見て、一緒に台詞を練習して笑いあって、怒って。落ち込んだら優しく聞いてくれる。私はまた錯覚を覚える。この時間が長く続けばいいと。錯覚でもいいから誰もこの時間を取り上げないで・・・と。

敦賀さんは、「相手を惚れさせる役なら本当に相手を惚れさせる」と、それは昔・・・新開監督が言っていた。だから・・・・・これは今だけの錯覚。今だけは彼を好きでいても、彼を自分のものにと本気で愛されたいと望んでもいい錯覚。

これは演技がもたらす私への魔法。また魔法が解ければ・・・私はシンデレラから引きずりおろされて・・・現実が待っている。そして彼は・・・また別の世界で彼は別の人を愛して、相手の錯角を引き出す。


彼が愛してやまない誰かにはなれない。分かっているから私は「最上キョーコ」では望まない。それを認めたら全てが終わってしまう。そして否定すればするほど、むなしさが心を占拠して、また私は暗い気分になる。

昔ショータローに捨てられる前・・・私は、ショータローが側にいてくれというのだから、「私の事を大事にしてくれている」と勝手に思い込んで、勝手にそうだと望んでいた。いい成績をとれば母は私を「愛してくれている」と思っていた。私が好きだった気持ちを勝手に押し付けていた。だからもう何も望まない。望めばまた、私はまたあの時の苦い気持ちを思い出さなければならなくなる。そして既にそれはどんどんと膨らんでいってる。

いつか来る、「お前なんて女じゃない」「お前なんていらない」という宣告。私がどんなに努力しても、尽くしてみても、それはやってくる。

この世界はギブアンドテイクで成り立っていると・・・思っていたのに。どんなに努力をしても、私だけはギブアンドテイクじゃないんだ・・・と。私は一生懸命与えることだけをしてきた。見返りはその先にあることを望んで。でもそれは勝手な思い上がり。見返りなど無い。だからラブミー部をいまだに卒業できない・・・・・。

なのに、敦賀さんは、私はご飯を作っているだけ・・・・なのに・・・。相当疲れているはずなのに台詞の練習に付き合ってくれて、勝手にあちこちで寝てしまう私を抱えて寝かしつけてくれて、ショータローが厭味を言えば怒って助けてくれて・・・錯覚を起こさないほうがおかしい。だからやっぱりそれは彼の性格なのだから・・・望んではいけない。

だから、この先私に残されたギブアンドテイクの「愛」は・・・ひどく儚くて刹那なモノ。それでもいい・・・演じ続けていればそんな儚い愛も続いて行くから。親の愛を得る子供の役。誰かを愛し愛される役。誰かを憎む役・・・・。それは演じる事で与えて、私が欲しかったモノが返ってくる一瞬の幸せ。

もし敦賀さんとの関係が「ご飯係」以上に続くというのなら、彼との関係を続けるためにはまた、私は演じ続けなければならない。自分自身を形成する事・・・ショータローへの復讐・・・敦賀さんの演技への到達。演じていけば行くほど、私の目標は増えていく。

いつか・・・私は儚い愛以外の・・・本当の「愛」というものを手に入れられる日が来るのだろうか・・?イリアのように、何もかも捨ててもいいと・・・自分を省みないギブアンドギブでいい愛なんて本当にあるのだろうか?



結局コーンを見つめてみたものの、出た答えが、『私は敦賀さんを望まない。女優を極める』・・・だったんだけど。

それって本当に・・・

「ギブアンドテイク・・・・ギブアンドギブ・・・・?・・・・ねぇ・・・コーン?」

うーん・・・。今はまぁ、コーンがいてくれれば・・・・。

「ギブアンドテイク?」

低くつやのある声が部屋に響いてひどく心臓がはねた。
変な事考えていたから・・・・。
振り返ると、ミネラルウオーターを抱えて敦賀さんが入り口にもたれかかるように立っていた。

つかつかとその長いコンパスで私の横に来て、どさりとソファーにその大きな体を沈める。身体をこちらに向けるとじっと見つめられて、心を読まれてしまうような気がして私は目をそらした。

「君は・・・いつもその石だけに・・・頼るんだな。」
「い・・・いつからそこに・・・?」

敦賀さんは答えなかった。

「前にも言った事があるかもしれないけどね、君が心の中にすぐに溜め込むクセ・・・その石だけにはそれが開けるの?」

私は困ってしまった。確かにそうだから。

「その石は君にとって、‘涙を減らしてくれる’石なんだろう?君が今その石を見ているということは・・・オレにだって何かあったんだと想像がつく。違うか?」

またホントを当てられて、胸に痛みが走る。

「石は、君の心を聞いてやる事が・・・できるかもしれないが・・・何も答えず・・・助けないじゃないか。どうしてオレにすら何も言わない?オレは君の石を見ながら出す答えをあげられないかもしれないけれど・・・聞いて、何か助けてあげる事はできる。だから・・・オレの前で・・・心の中で泣くのはやめてくれないか?」

「・・・・コーンを・・・・悪く言わないで下さい。」
「君が・・・いつもオレの体調を気遣ってくれるのと同じようにオレも君が心配なんだよ・・・」
「・・・・・・敦賀さん・・・・それ、その言葉は・・・例の想っている人だけに伝えてくれませんか?いくら優しい敦賀さんだと・・・思っても、私には重過ぎて・・・・。って・・・あぁ、私は・・・そんな事を言いたいんじゃないんです、分かってるんですよ・・・敦賀さんが明日の仕事に影響しないか心配してくれているのは・・・。でも・・・。」

がしりと強い力で肩を掴まれて驚いて顔を上げると、敦賀さんはなぜか怒っていた。
何がいけなかったんだろう?心配してくれていた訳ではなかったんだろうか?

「最上さん?君、明日オレと不破とのベッドシーンまとめ撮りなの・・・分かってるよね?」

私は明らかに動揺した。
考えないようにしていたといえばそうだ。
台詞はもう頭の中でいやというほどリフレインしている。

「はい、分かってます・・・。」

あのシーンは原作にはなかったのにな・・・とぼやいてみても、明日はやってくる。

「原作は原作・・・映画は映画。売れるなら俳優も原作も何でもありだね、この業界。どちらにしろ、このシーンだって先生が書き下ろしたんだから、同じだろ。」
そう意地悪そうに言う彼は、続けた。
「で・・・今の君の精神状態で・・・明日不破と・・・オレを口説き落とせるのか?」
「できます!演技しているときは・・・演技しているときだけは・・・ちゃんと役に入り込んでますから!」

それは本当だった。イリアとして、ノアを尊敬しているし、リュークに強く惹かれている。

口元だけで笑った挑戦的な眼差しで私を見た敦賀さんは、まるでリュークのようだった。

「じゃぁ、君に聞く。演じている時、君は不破とオレを本当に愛しいと感じているのか?じゃぁ、2人の男への恋心の違いから来る表情の違いは?」
「リュークへは、何もかも捨てても側にいたいと・・・思えるような・・・激しい恋・・・激情。ノアへの恋は尊敬から来る優しい慈しむような愛情・・・」

ふぅん・・・と言った敦賀さんは、肩を掴んでいた手を・・・離して、持ってきていたミネラルウオーターを口にすると、視線だけこちらによこした。

「それを君に演じ分けられる?今までのシーンがOKが出ているとはいえ、不破への気持ちを抑えて、イリアとしてノアを愛するように、慈しんで愛せるか?じゃぁ、逆にオレを、その激情でもって見られる?君はラブミー部に入って、自分を愛して欲しいと・・・相手を愛したいと思う気持ちを育ててきたはずだけど・・・・・・本当にできる?」

「できます!!」

これは敦賀さんの挑戦状。
これができなきゃ女優とは認めないという挑戦状。
売り言葉に買い言葉かもしれない。

この後の展開は・・・分かっている。

でも、イリアである限り・・・リュークを・・・それを演じる敦賀さんを愛してもいいのだ・・・。

そんなずるい考えが頭に浮かんで、消えた。

そして、これは先日控え室で見た、礼子さんと同じ「醜い行為」だと、自分を罵倒する心が見えて軋んだ。

「いいだろう・・・・」

そう言った敦賀さんの壮絶に妖艶で美しい笑みを見て、私は「京子」になった。