【Cross 18】





無理をするなという、敦賀さんの魔法のような呪文が、今でも私の心の中で優しく響く。

髪も敦賀さんに会うまで・・・・伸ばそうと思って・・・いたら、伸びすぎて既に腰より下まで伸びてしまった。

そしてこの5年、死に物狂いで働いてきた。働いて働いて、その間に色々と身につけたかった語学や習い事をして、大体一日取れる睡眠が3時間。良くて5時間。
でも、すごく楽しかった。敦賀さんの演技に少しでも近づけるなら。好きな演技がどんどんやれる。大物役者さんに現場で身を持って学ぶ。後輩もできた。

そういえば、モー子さんは、このあいだ大学生になった飛鷹君にプロポーズされたって、真っ赤になって教えてくれた。私はとても嬉しかった。

結局、あの後一度も敦賀さんとは連絡を取らなかったけれど、社さんがくれるDVDや雑誌で彼がどんどん遠くなってしまったのを見つつ、私も負けないように尽くしてきたつもりで。

彼は少し筋肉が増えた気がした。もともと着やせするタイプ・・・。
モデルとして活躍するためにさらに付けたのだろう筋肉が、その服をとても映えさる。

前に色気で悩んだときに敦賀さんの異常な色気に押された事があったけど、今は写真ひとつとっても色気全開・・・。見れば見るほど好きになって、会いに行きたくなってしまう。まるで追っかけのファンのように・・・・。実際日本から敦賀さんに会いたいがためにアメリカに見に行く日本人が増えたと聞いた。
これを見て私は負けじと身体全体のバランスに気を遣うようになった。

いつか、敦賀さんに会いに行こうと、会いに行っても、横に立っても少しは相応しくなったら会いに行こうと決めて、結局すでに5年も経ってしまった。

敦賀さんがアメリカへ渡った時、私はとても子供で、私は彼に守られて愛されていたことにも気付かず、ショータローも私が片親だったせいか、陰ながらずっと守って――本人は無意識だろうけれど――きてくれていた事も知らなかった。

ショータローは敦賀さんがいなくなってから、ひどく優しくなった。相変わらず口は悪いけれど・・・・。敦賀さんがいなくなって、試写会の挨拶後、「オレの前でも、誰の前でも酒飲むのはやめとけ」と言われた。私は素直に従った。


結局マスコミを利用するように、ショータローを利用するようにして守ってもらって、悔しかったけど、また敦賀さんの近くに行くためには仕方がなかった。だから私はショータローにも敦賀さんにも負けたくなくて、自立をしようと仕事は請けられるだけ、請けた。


そして、少しお金がもらえるようになって、敦賀さんの家を出た。お休みの日前日の夜は、行ける時は彼の家へ行って、料理を作って掃除をして、コーンを取り出す。最近コーンとの会話はそこでする。敦賀さんが昔「言いたいときはオレに言え」と言ってくれたのに、結局一度も聞いてもらえないまま行ってしまったから、せめてもの自分への励ましと敦賀さんの雰囲気が残るそこで一緒にいるような気分になって、慰めてもらう。ただ、泣いてしまいそうで、今でもあの寝室にはお掃除以外、ほとんど入れない。

彼が「幸せになるんだよ」と言ってくれたあの場は、辛すぎる。

その後アメリカへ行こうと決心したときに、ショータローに別離の記事をマスコミに噂して欲しいとお願いした。彼は「そうか」としか言わなかった。世間は、私がお休みを貰う事をショータローとの別れが原因だと勘違いしたようだ。


私は既にアメリカで、モデルと日本向けの朝の番組中継と、ピンで仕事を貰っていた教育テレビの英語番組の海外継続が決まっている。それをこなしながら、また日本でそうしたように、一歩ずつ仕事を増やして、敦賀さんを探す。同じ業界にいれば探しやすいだろう。社長にその事を話したら、「電話番号教えようか?」とあっさり言われて、悔しくて断った。LME海外子会社の事務所はロサンゼルスにあって、社長は敦賀さんがその後移籍したという話はしなかったから、多分敦賀さんもまだそこにいるはず。


先日ショータローが久々に電話をかけてきて、「急に吐いた」とあわてて言うので、一言「産婦人科行ってみたら?」と言ってみたら、当たりだった。
その後祥子さんと、ショータローは婚約をして、マスコミは京子と別れたせいで寂しかったんだと報道した。ショータローは憤慨していて、会見でその質問に本気で怒っていた。

祥子さんに「私のせいでご迷惑をおかけしました」と私が謝りに行くと、彼女は笑って「キョーコちゃん、昔敦賀君と尚と3人でやった・・・映画の・・・打ち上げのあとの、尚を・・・見せてあげたかったわ。」と言った。

話によると、その後私との会見をした辺りから、ショータローはすがるように祥子さんにのめり込んでいった様だった。「だから、いいのよ。」といわれた。祥子さんも私が知らない所で・・・きっと苦しい思いをしたのだろう・・・・。

ところで。私はショータローへの復讐がいつのまにか済んでいた。

だから。次は敦賀さんの番。

絶対に負けない。


アメリカ行きの最後の決断を迷っていたときに、私は大越先生に最初に相談した。
先生は、何もかも察したように「時が来たと思ったのだろう?」と言った。
そして、例の「語りの彷徨」に出ないかと誘われて、私は二つ返事で出演を決めた。



敦賀さんがそうしたように。