【Cross 17】



彼女は連絡先すら教えないオレの事を怒っているだろう。
しかも事前に全くアメリカに異動する事を言わなかったから。

またあの石に・・・・話をしている姿が目に浮かぶ。
結局それに頼るときは、いつもオレはそこにいてやれない。

名前も日本と同じ「敦賀 蓮」で通し、そのまま「レン」が通称になった。

オレの新しい住居は西のロス郊外の住宅街にした。仕事場がハリウッドにほど近い所にあったために、そこにしただけなのだが・・・。東京のように高いビルの上から眺める風景には住みたくなくて、地に足が付くところにした。一人が住むには大きすぎる家なのだが、庭も広いし、周りも緑が多くてゆったりとしている。気候も東京よりもずっとカラリとしていて、快適だ。

引っ越してきてすぐに、毛のふさふさした仔猫を一匹飼った。真白くて、耳朶や鼻の頭がピンク色で愛らしい。店に入ってすぐにその猫と目があった。撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めてすりすりと顔を寄せてきて、相性は悪くないなと思った。それとその手触りがとても滑らかで何か安心して、それを飼う事にした。

その猫は今ここでも一番人気があるのだという。大人しくて人懐っこく人形のように大きな目、抱えられて撫でられるのが好きで、それがこの猫の特徴なのだという。広い家に猫が一匹。遊ぶところが多くて気に入ったようだった。幸いなことにこの猫は、外飼いはしなくていい。

名前はアリーにした。

この真っ白な猫を見たときに、ふと彼女を思い出して、まさかキョーコちゃんとは付けられず・・・・・イリアを逆にしただけのこと・・・・・。

アリーはとても従順で、オレの帰る足音がすると、いつもお気に入りのソファでオレを待つ。そして挨拶代わりに抱えて撫でてやる。だから、ロスの家にいられるときはいつも、アリーとこうして過ごしている。仔猫だったアリーもすでにかなり大きくなった。普段オレがいないときは、ハウスキーパーのルゥが世話をしてくれている。残念なことにルゥとはアリーの相性はそうそういいものでもないようだ。先日もまた、毛づくろいをしていて、逃げられたとブツブツ文句を言っていた。

ルゥは、オレが住む家の近所の住人で65歳を過ぎていると言っていた。黒人で恰幅のいい体つきで、少し訛りのある英語を話す。彼女はリタイアしてこちらに越してきたのだが、「来てすぐに主人に先立たれて、一人ではやることが無くて困っている」と初めて会った時に言われて、ハウスキーパーをお願いすることにした。彼女はその場で即刻OKをくれて、契約が決まった。それ以来、ずっと「レンの母親代わり」と言ってはよく世話を焼いてくれている。


ロサンゼルス内は比較的日本人も多い。リタイアした日本人がのんびりと生活していたり、近所には日本の芸能関係者もいる。それでもめったに出会うことはない。


オレは一ヶ月ほど今までの休養を兼ねて仕事を休んだ。


その後、最初に紹介されたマネージャーのリンディが彼女そっくりだったので、正直困って、体力的に大変だろうからと、どうでもいい理由を付けて男性にして欲しいと言った。

それを見たリンディは彼女のようにぶつくさと怒り、私にだってマネージャーの仕事ぐらいちゃんとできるわよ、と言うのを聞いて吹き出した。どこかの誰かも同じ事を言っていたなと思った。結局どこかの誰かの様に、根性でくいつかれて、諦めた。

リンディはあの子の目の感じに似ている。それが薄い緑色で。ボブぐらいの長さのブラウンの髪とそばかすが似合う、少し焼けた肌と、彼女より少し高くて170センチほどあるだろうか。

リンディはいつもとても一生懸命で、家を助けるために仕事を探したのだと言っていた。だから、仕事を失うわけに行かず、オレに意地でも喰いついたらしい。母親が日本で育ち、日本に住む祖母の元へ二年ほど預けられていたために、オレ付きになったそうだ。普段はお互い英語なので、特に彼女の日本語を聞いたことも無いけれど。一生懸命に世話をしてくれていて、オレに数多く仕事が入るようになって、嬉しそうにしていた。

リンディの目を見ていると、本当にあの子にそっくりで、オレは本当に困る。

あの目に見られて、仕事を懇願されると、オレは弱い。正直やりたくない仕事もあることはあるのだが、「Yes」としか言えなくなってしまう。

たまに見せる彼女の表情が、オレへの気持ちを表してくれていたが、オレはそれを見ないフリをしている。正直、あの子と重ねて見ている自分がいて、代わりにしてしまいそうだから。そして別人なのに、彼女との考え方の違いを見つけてはひどく苛々としている事に気づいて、可笑しかった。

だからオレは、結局まだ忘れられなくて・・・・自分の気持ちをもてあましている。
ひと時の熱病だと思ってみても、本当に忘れられない。

一晩抱いた感触が、声が、オレの耳から離れなくて困る。今までのように・・・さっさと忘れたい。本当に忘れたい。忘れられると・・・思っていたのに。彼女のオレを呼ぶ声がまだ頭の中から離れずに、心の中は熱を帯びていくのみで。それは、意識のない彼女を弄んだ罪なのだと思う。

日本へは年に数回社長宛に電話をかける。社さんへは情が出るかと思ってかけた事がないし、住所以外はメールアドレスすら教えていない。社長は、相変わらず一切あの子の事は口にしないし、仕事上もこちらへもよく気にかけてくれて、裏で色々と手を回してくれているようだ。お陰でオレはとても仕事がしやすい。

こちらの仕事はとても楽しい。スケールが大きい。自分の限界を試したくなる。忙しければ忙しいほど、自分の感情を一時でも忘れられる。そんな男の欲望に・・・しばらく、と言っていたにもかかわらず、すでに5年が過ぎた。

社長が何も言わない代わりに、日本の様子は杜さんがたまに連絡をくれた。たまに今の日本の状況が分からなくて、手紙の内容が理解できない事もあった。

彼女もあの映画のあと、仕事がとまらなくて、いつ寝ているのかも分からないくらいだという。時間を惜しむようにあれこれと習い事をして、仕事の幅を広げているようだ。彼女の事だから、全てを完璧にと無理をしているに違いない。オレはまた杜さんへの手紙に、『二人とも無理をしないように』とだけ書いた。

あの映画はどうなっただろうか。送ってくれるといったDVDはまだ届かない。ただ、見たら多分・・・また困る。多分戻りたくなる。そう思ってきっと社さんは気を遣ったに違いない。


4年ほど前に来た手紙と共に、彼女と不破が、あの映画の後しばらくして交際を始めたという記事が入っていた。彼女は彼への復讐を、そうして遂げたのだろう。

その後別れたという話は聞いていないし、そろそろ、杜さんから結婚の報告が来るのだろう。遂にオレの心の行き場が無くなった。アメリカにいて良かったと、その時初めて思った。

前のマンションは、彼女は出てしまったと聞いた。不破とうまくいったのなら、当然だろう。ただ、そのまま残っているらしい。だから、社さんに、『好きに処分してください』と書いた。

ドアを叩く音と開く音がして、振り向くと、リンディが入ってきた。

「レン、おはよう。入るわよ。」
「やぁ、リンディ。おはよう。」
「何か考え事?・・・・・あぁ手紙?何を書いたの?」
「ん?無理をしないようにってね。仕事、忙しそうだから。」
「そう・・・。はい、ファンレター。あと、これ、またヤシロさんから来ていたわよ。」
「あぁ、置いておいて。後で見る。あれ、リンディ・・・顔色・・・少し悪いね。・・・今日はオレ一人で大丈夫だから、休んだ方がいい。」

リンディの顔色がいつもより青白かったのは気のせいではない。
いつもの血色がよく、元気な彼女には見えなかった。

「いえ・・・大丈夫よ。じゃぁ机の上に、置いておくわね。」
「あぁ、うん。でも・・・体調悪くなったらすぐに・・・言うんだよ?」
「ありがと、レン。今日は、このあと、10時からスタジオ取り、15時からラジオ、18時からインタビューね。」
「了解。悪いんだけど、この手紙、またエアメールで社さんに出しておいて。」
「分かったわ。それと、レン・・・あとで聞いてもらいたい事が。」

そう用件だけ告げると、車を用意してくるから、と彼女はすぐに出て行った。





*****




レンは、日本から来て、最初私をいやだと言った。会って一週間、会話もそんな悪いことをしたつもりが無かったから、理由が分からなかった。しばらく、彼が私を見る目に何か翳るものがある事に気づいて、また意味が分からなかった。

私は、父の会社がうまくいかなくなって、働かざるを得なくなった。
だから、せっかく掴めそうなこの仕事をやめるわけにはいかない。

私はマネージャーとして、レンを尊敬していた。仕事に対するストイックなまでの情熱、どこまで挑発されても紳士な態度を崩さないその精神力。

最初日本人がこの世界に入るのはやはり、何かあっただろう。彼はそれを一切見せなかったし、私が女性という事で受ける数々の業界の嫌がらせから身を挺して守ってくれる。

この仕事は昼夜を問わないから大変だけれど、レンは私の体調や時間をとても気遣ってくれて、夜の仕事の後は必ず私を送ってくれる。そんなレンを父も母もとても気に入っていた。

私につらい事があった時もずっとそばで励ましてくれたのもレンで。だから、尊敬の気持ちがいつしか別の気持ちに変わるのは、そう時間がかからなかった。

マネージャーが担当に恋心を抱くのはご法度だと、ずっと思っていた。仕事と私情を挟んではいけない・・・いけないと思えば思うほど、「昔」手に入ったと思っていた幸せな気持ちが蘇れば蘇るほど・・・・好きになった。


レンは、気付いているのだろう。
でも、この5年何も変わらない。

そして、マネージャーを初めて少しして、彼の自宅の掃除をしているときに、寝室のサイドボードの雑誌整理を頼まれて、上の段に小さな黒い箱を見つけた。開けてみると、小さな・・・きらきらと光るティアラが入っていた。

彼らしくない、というより男が持つには、どう考えてもおかしいその持ち物に、なぜか私は嫌な予感を感じた。

その1年後、嫌な予感は当たった。

私はレンの荷物を全て管理していて、衣装・鞄・ファンの手紙に至まで、凶器や、誹謗中傷の手紙が入っていないかをチェックする。

その中に、いつも定期的に来ていた前のマネージャーだという、ヤシロさんからの荷物があった。

私は日本に居たことがあったのと、母が日本育ちという事もあって、日本語と英語の両方が話せるし、読み書きできる。だからレンに付くのは適役で。

前のマネージャーの話す彼への内容に興味と、日本へ帰ってしまうかもしれないと言う焦燥感があって、彼には申し訳なかったけれど、いつも手紙の内容を盗み見ていた。

いつも手紙にはキョーコという名前が出てくる。今ヤシロさんが付いていると言うタレントらしかった。

マネージャーとしては最低。手紙を開けさせる・させないは、タレントごとに違うのだけれど、神経質で一切自分の持ち物に触らせないあるタレントは、手紙を開けただけで、そのマネージャーを切った事もあると聞いた事がある。レンは比較的仕事以外の点ではとても大雑把で、いつも「任せるよ」としか言わない。

箱を開けると、彼が日本で最後に演じたと言う映画のDVDと、もう一本、日本語で「打ち上げ」と書かれたDVDが入っていた。

その日本語で演じる演技と、内容、日本で彼がどんな風に仲間達と過ごしていたのかがとても気になって、私はその荷物を全部こっそりと家へ持って帰った。

レンとショーとキョーコが主演の、三人の美しくも悲しい愛憎劇らしい・・・・。
はじめて見たキョーコという人物の写真は、どこか私に似ている。そう思った。

レンがこちらへ来てすぐの頃、「レンならすてきな恋愛モノができるわ」と、やってもらいたい希望を込めて言ってみたら、「しばらく恋愛モノの映画はやりたくないな」ともらしたことがある。理由は教えてくれなかったけれど。

でも実際私が仕事を取ってきたら、断る事はしなかった。
レンの恋愛モノはとても流れるように静かな恋愛モノが似合う。
そう思っていたのに。

私はDVDを見て、最初からどうもレンに違和感を覚えていた。
そして途中から愕然とした。

レンのこんなに狂おしい顔を見た事がない。
こんな優しい、愛しそうな目をして女性を抱く演技をするレン・・・・。

内容はほとんどをレンしか見ていなくて、話半分ぐらいしか分からなかったけれど、私はそれとは別の心の痛みで・・・涙で目の前がかすれたままだった。映画が終了して、泣いたまま私は動けなくて、DVDをそのままほったらかしにしていた。

しばらくして。

セピア色の画面の中に、先ほど見つけたティアラをつけたイリアと、レンが演じるリュークが幸せそうに抱き合ってキスして、笑っていた。イリアは最後に、リュークにそのティアラを載せて、お互い耳元で囁き合うと、額を合わせて静かに微笑みあっていた。

最後に、英語で「幸せとは何?」と文字が入っていた。


こんなレン・・・・見たことない・・・・。


私は異常にこのキョーコという人物がどういう人なのか気になった。


そして、打ち上げのDVDを私は見てしまった。


あのセピア色のシーンは・・・・あれは、演技じゃない・・・・・・・。


あの映画の中での私が抱いたレンに対する違和感は、リュークがたまに、私にも見せた事がない、本当の、素のレンになっていたからだ。


この荷物は渡せない・・・・渡してはいけない・・・・直感的にそう思った。


なぜ、彼がアメリカに来ようと思ったのかは知らない。
こんなにお互いを思いあっている二人が、なぜ別々にいて連絡もとらずにいるのか、わからない。

一緒に入っていた手紙にはショーとキョーコの交際発覚という記事と、ヤシロさんのメモが挟んであった。

『まだ、キョーコちゃんだけでは、蓮の名前に潰される。不破君はキョーコちゃんの幼馴染だったのが幸いした。理由が付く。だから、彼の名前で彼女を守る結果になった・・・・だから誤解しないで』と。

キョーコが連絡を取ってこないのは多分連絡先を教えなかったのだろう。毎回ヤシロさんが彼女の様子を書いていたのは、レンが彼女を好きだったことをヤシロさんは知っていたからだ。でも、なぜ二人ともこんなに幸せそうなのに住所も教えず、直接連絡も取らないのだろう。電話だってメールだってある。理由が知りたかった。レンはこの映画の撮影が終わってすぐにここに来たと言っていた。だったらなぜ?

幸いにしてDVDに関する記述が手紙の中には書いていなかった。多分ヤシロさんも、このDVDを送る時には迷ったのだろうと思う。レンが今でもキョーコのことを思っているかどうか心配だったのだろう。多分、これを見て日本へ戻ってきてくれることも期待して・・・・。

私は、レンにいつもの手紙と、週刊誌の記事だけを渡した。


そして。
だから。

彼は誤解した。


その半年後に来たヤシロさんからの手紙に、

『やっぱり、あの映画が放映されて、蓮のファンが彼女にかなりきつく当たっている。DVD特典として入れた最後のシーンが、あれは実は撮影になかった事がスタッフ談として載りそうになったけど、うちの社長が何とか事前に潰してくれたから安心して。蓮とキョーコちゃんがしばらく一緒に生活していた事はやはりすっぱ抜かれたが、不破君と社長が毎回フォローを入れてくれている。しばらくマスコミと追いかけごっこになりそうだよ。』と書かれていた。

レンとキョーコが一緒に暮らしていた?

そして。また私はまたこの手紙も渡せなくなった。


5年経った今でも、結局彼女が出たというドラマや映画のDVDが送られてくるのだけれっど、私はずっと、罪を重ねている・・・・・・・。

やはりヤシロさんは、キョーコを思い出させることで、レンに日本に戻ってきて欲しいのだ。

そして、1年ほど前の手紙に、キョーコとショーがなぜ破局?という内容の記事が入っていて、また私はそれを抜き取った。

もともと幼馴染なので、今でも電話をしあういい友達・・・だと書いてあった。


そして、先ほど来た手紙には、キョーコが長期休養という内容の週刊誌の記事が入っていた。人気絶頂での休養。ショーとの破局が原因?と書かれている。

そして、何かまたDVDが入っていた。「語りの彷徨」と書いてあった。もちろん・・・渡せない。ヤシロさんからのメモには

『もう少ししたらそっちにキョーコちゃんが行くから。もういいかげん覚悟をしなさい。』

と書いてあって、私は冷や汗が出た・・・・。
もう・・・タイムリミット・・・・。


荷物の事も、私の気持ちも・・・・何もかもがおしまい。

冷や汗が流れて、体中から体温が奪われていく。

私は焦って、レンに残りの手紙を渡すと、動揺を隠すようにしてレンの部屋を出た。

レンが私を見る目に翳りがあるのは、やはり、私が彼女に似ているから。

それだけ・・・。



そうして、しばらくして・・・私は、壊れた。