バラの融点六


『Under The Rose   久遠 レン』


『序


初めてあの子を見かけたあの日、僕が窓から見えたのは、泣いている姿だった。僕の育てたバラの前で。

どうしたんだろう?と、気になってしばらく見ていると、家と道とを隔てる柵に絡まったバラの棘を避けながら柵を握りしめ、力いっぱい前後に動かし始めた。柵は動かないから、身体が前後していた。

そして、バラに向かって「バカバカバカー!!!」とひどい事を言った。だから僕はむっとして、思わず窓を開けて大声で言った。「バラにそんなひどい言葉を投げかけたら、枯れてしまうじゃないか!」。

大粒の涙を目に溜めた彼女は、僕に気づいて、目をぱちくりさせた。ぱちぱち、とする間にも、何粒か涙が流れ落ちた。僕に気付いた彼女は驚いたあとすぐに、「ゴメンなさい」と言って柵を握る手を離し、泣いていた目を強く擦り、涙を僕に隠した。

――そんなつもりじゃなかったんだ

泣いている女の子に、なんてひどい言葉をかけてしまったんだろう。辛くて思わずバラに投げかけてしまった言葉と、僕が泣いている彼女に投げかけた言葉、どっちがひどいと思う?

僕は「今そこに行くから待っていて!」と言って窓を閉めて、僕専用のはさみをボックスから取り出すと、急いで家の階段を降りた。ママがキッチンから「どうしたの、そんなにあわてて」と言ったけど、「バラを見に行くんだ」と言った。「ついでに、ママの花壇のアイビーにもお水をあげてちょうだい」と言ったから、「わかったよ、ママ!」と振り返りながら答えた。

玄関を開けると、彼女はまだそこにいた。「ちょっとそのまま待っていて!」と、僕はもう一度彼女に念を押した。「うん」と言ったのを耳で聞きながら、庭を駆け抜けて、家の端まで行った。

僕の花壇の中で一番大切なバラを切りに行った。「朝水をやりにいったら咲いていたんだ。朝露が乗ってキラキラしていて、すごく綺麗だったんだよ。ママ、朝ごはんが済んだら見ておいてね!」朝、そんな会話をしたばかりだった。パパとママ以外には、切ってあげた事なんて無いバラを、一輪切った。「僕の所で咲いてくれてどうもありがとう」、パパが切ったバラにいつもそう言うから、真似して、僕もバラにそう言った。

棘を落とすとすぐに、走って庭を横切り、門の外に出た。彼女は門の柵を片手で握って待っていた。よかった!「おまたせ!」

近所のおばさんが見慣れない彼女を見て、僕に「お友達?」と聞いたから、「そうだよ!」と言った。おばさんに不審な目で見られていたのだろう。彼女は僕の言葉に、ぱぁぁぁ、と、それは大きく目を輝かせ、安堵で頬を赤らめた。涙で濡れたせいで、まるで朝露のついたバラのようだった。

「いきなり怒ってごめん。バラの番はパパに任された僕の大事な仕事なんだ。これも僕が育てたバラ。今朝咲いたばかりだよ。驚かせたおわびに、君に」

彼女は、また目をぱちぱち、とさせて、渡したバラを受け取った。

「ありがとう。・・・綺麗・・・。大事にするね」

彼女は、僕のバラを見て、僕を見て、心から嬉しそうにそう言った。
僕も、嬉しくなった。

「あなたの大事なバラに、ひどい言葉をかけてしまってごめんなさい。私も、バラ、小さいけど、お庭にあるのよ。今度、お礼に咲いたらプレゼントするね」

彼女は、別れ際そう言ってくれた。悪気があった訳じゃない、そこに僕のバラがある事を、泣いていたから気付かなかっただけなんだ。

「ねえ、またバラを見に遊びに来てもいい?」
「もちろん」
「ありがとう・・・」

少し、泣いてはれた目で、彼女は嬉しそうにまた頬を赤らめた。
僕は、みんながバラを育てる意味に、初めて気付いた。
『大事な人に、喜んで貰うため』
パパがママにこの間、すごく綺麗な宝石を贈ったのと一緒。
プレゼントをする誰かに喜んで欲しいから大事に育てるんだと思った。

バラはお花の王様なんだって、ある日パパが僕に言った。
すると、ちがうわ、お花の女王よ、と、ママが僕に言った。
だからその日僕は、バラは、お花の宝石なんだよ、とパパとママに言ったんだ。

それから彼女はたまに遊びに来た。柵の所を握って、バラと一緒に僕を待ってる。僕も、窓辺で待ってた。泣いている時もあったけど、バラをあげると、彼女はいつも笑ってくれた。僕の大事なバラのおかげで、彼女は一人で泣かないでいいんだと思ったら、すごく嬉しかった。

彼女はお姫様が大好きで、僕の育てたバラの前で、一緒にお姫様の本を読んだ。だから僕は彼女に「僕のバラのお姫様」という名前を付けたんだ。その時の彼女の喜んだ顔は、きっと一生忘れない。その日から僕は、彼女をバラ姫と呼んだ。そして、僕のバラのお姫様のあの子に、喜んで貰う為に、僕はバラを育てるんだと決めた。

彼女が育てたちいさなバラをプレゼントに貰った時、すごく嬉しかった。僕もお礼に、真っ赤なバラをプレゼントした。
真っ赤なバラをパパがママにプレゼントしながら、「愛してるよ」って言うから、僕も真似してみた。「愛してるよ、バラのお姫様」。

でもちいさな彼女は、「ラブユーマム」の挨拶と同じだと思ったようで、意味はよく分かっていないようだった。

パパとママが、二人でこっそりと「あの子、もうナイトなのよ」って言って笑っていたのを、こっそりと、少し大人になったような気持ちで、誇らしく聞いていた。

だから、その日から、僕のバラは全て、彼女ために育てるようになって、大事なバラは全て彼女に渡した。あの子が笑ってくれるように。     』




*****

蓮は会うたびキョーコにバラを贈った。
「君に」と言いながら。


おかげでキョーコは、台本を読むたびに、バラ姫というものが、役柄なのか、本当なのか、蓮の部屋で台詞合わせの練習をつむたびにその境界線が分からなくなっていく。台本もまるで自分のようで、映画初心者の自分のために、せめて役柄を作りこまずともできるだけ自然に出来るように台本作りの時に呼び、自分に合うように直してくれたのかもしれない、とキョーコも思った。


キョーコはその日一日が終わると、蓮の家に行く。誰かいてもいなくても、二人分の食事を作り、決まった時間までに蓮が帰らなければ一人で、蓮が帰れば二人で、テレビを見ながら共に食べる。蓮はキョーコの作ったものをそれは美味しそうに食べ、二人で食器を片付ける。その後台本を読みながら蓮がキョーコに役のイメージを伝え、指導する。自分が書いたのだから当然なのか、演じる事はすごく好きなのか、蓮はキョーコの前で、主人公の台詞を間違えるような事は一度もしなかった。

そして日が変わる前には蓮がキョーコを送る。仕事があれば、キョーコは一人で帰る。

ある晩、台本合わせに熱中しすぎて、日が変わっていたから、ついにキョーコは諦め、勧められる通り、蓮の家に泊まった。が、それは以前のように気にする事もなく、まるで自然な事のようだった。


「おやすみなさい」と言ったキョーコに、「おやすみ」と返事した蓮は、まるでバラ姫にするかのようにキョーコを優しく抱しめ、こめかみに触れるか触れないかの口付けをしたし、キョーコも蓮を抱しめた。その安堵感は、何とも言い難い優しい体温と感覚のするぬくもりだった。


バラ姫と主人公の関係と、自分と蓮の関係は、まるで同じかのような錯覚に陥った。それは本能のように逆らえない不思議な自然さと空気だった。しまいには、蓮の時間に合わせていると、時間が限られてしまうから、時間惜しさに自分の荷物を蓮の部屋に持ち込んで共同生活をしていた。


ある日、キョーコは奏江に、親友として黙っていてはいけないかと、今、敦賀蓮に付っきりである事を告げた。久遠レンの事だけは伏せて。久しぶりに会えたのはラブミー部の部室だったが、お茶の時間だけは取れた。

奏江はキョーコに、「それって・・・付き合っているか、同棲以外の何ものでもないんじゃない?」と言った。キョーコは、仕事のつもりだから、「いいえ?」ともちろん返す。

「だって、付き合うっていうのは、好きだとか男女関係とか、そういう感情でしょう?キスもしなければ、男女関係なんかももちろん一切無いし、仕事よ、仕事。敦賀さん、((・・・パソコンに向かう時間もあるから・・・))今睡眠時間ないぐらいに私に付き合ってくれていて、私なんかを送ってくれる時間が勿体無いから。好きか嫌いかと言えばもちろん、嫌いじゃないから、一緒にいるけれど、でも、仕事なの」、と言った。

奏江は、「プラトニックラブだって、恋愛のうち、じゃないの?」と言った。キョーコは、「でもそれも「精神的な愛」でしょう?恋愛って感情じゃないの、映画仲間とか・・・同志に・・・近い感じっていうの・・・・?」と、キョーコは再度奏江に念を押したが、奏江は「兄弟以外の男女間に友情なんて芽生えないわ。あるのは恋愛感情か、利害関係だけよ。アンタが敦賀蓮を利用しているって言うなら、分かるんだけど。」とはっきり言った。


久遠レンの事は、話すことが出来ないから、どうしても奏江には敦賀蓮と京子の同棲姿しか目に浮かばないのだろう。それ以上奏江の言葉を否定する事は出来なかった。自分が全てを伝えていないのだから。


蓮の家に通うようになってから、自分は蓮の事ばかり考えている事は分かっていた。それでも自分しか久遠レンの事を知らないし、敦賀蓮の多忙さを併せると、食事もそこそこに、よく今まで倒れずに仕事をしてきたものだと感心して、世話を焼いてしまう。だから恋愛感情なんてなくたって、一緒にいられる。楽しい時間だって過ごせるし、仕事まで互いにいつも以上にこなせてしまう。

練習や、眠る前、抱き合いはするが、それは互いの一日の健闘を褒め称えあうようなもの。つまりは互いに戦時を乗り越える同志。


なんて良い関係なのか。不要な恋愛は無いし、友情にも似たまるで家族のような自然さ。確かに、利害関係のような互いを縛る『秘密』はあるけれど、あくまで互いが互いを受け入れているのだから、「同志」。それを置き換えると『利害』という言葉になるのかもしれないが、利用しているというつもりはキョーコには無かった(蓮にはあるかもしれないが)。


この映画が終われば、来る頻度も落ちるだろうが、久遠レンを知っているのが自分だけなら、関係が無くなる訳ではないのだから。



*****



全員の顔合わせの日、原作者である久遠レンは当然欠席した。監督に全てを任せましたので、という伝言だけが、皆に伝えられた。


台本読み合わせの時には、そこにバラ姫がいたし、そこに主人公がいた。







2008.10.22



注)作中の「Under The Rose」の一部は書いていこうと思いますが、映画化とか某小説賞にノミネートされるようなものか等の感想を持たれると思います。が、気にせずさらっと読み流してください。書かなかった部分が、蓮様が書くとなにやら売れっ子作品になっているらしい・・・というイメージだけお持ち頂けたら幸いであります・・・(T_T)(沈)。