バラの融点四



キョーコは頻繁に蓮に呼ばれ、毎度、蓮にバラを渡された。
その日、一輪挿しに刺さっているバラを。
まるで、「Under The Rose」の主人公になった気分。
あまりに呼ばれるから、ついには、仕事として呼ばれなくても、遊びに来るようになった。

「最上さんて、恋愛は?」
「はっ・・・?」

とんでもなくマヌケな顔をしているキョーコを見て、蓮は可笑しそうに笑った。

「最近、呼ばなくても、顔を見に来てくれるようになったから。大丈夫?」
「・・・(毎日毎日呼んだのはそっちのくせに・・・)・・・恋愛なんて。そんな暇があったら、養成所に行って、新しい事を習います」
「・・・そうなんだ?」
「敦賀さんはどうなんです・・・仕事漬けで・・・私までお部屋に荷物がいて・・・」

普段キョーコが知らない仕事場でも、プライベートでも、当然女の子に囲まれる生活をしているのは目に見えている。

「・・・・どうだろうね」

蓮は、面白そうに言葉を濁した。自分だけ聞いておいてずるい、と思った。

「ずるい、と思っているんだろう?」

蓮も、キョーコの考えている事を口にする。穏やかに、笑う。

「はい」
「君は、正直者だね」
「正直者は、バカを見るんです。失敗ばっかり」
「そう?失敗かどうかなんて、後から振り返ってみたら、「あの時があってよかった」、なんて、いい思い出になったり・・・」
「・・・そこまで、偉そうな失敗は全然してません」

ぶぅ、とキョーコの頬が膨れる。
可笑しそうに蓮が笑う。

「恋愛も?」
「・・・・・・・」

やはり恋愛の事になると、キョーコの口は重くなると蓮は思う。

「敦賀さん、原稿進んでいるんですか?」
「はは・・・やり返せなくなって、オレの弱点を突いたね。仕方ない、休憩はこの位にして、真面目に仕事をしよう。いつか、君の話もじっくりと聞いてみたい。この間の、オレの本の感想とか・・・。女の子の恋愛と、オレの本とではきっと少しギャップがあるだろう。その穴埋めの参考にね・・・」


蓮は立ち上がった。そして、キョーコにも着いて来るように言った。


「仕事場を見せるよ」


蓮の仕事場という場所は、本で埋め尽くされていた。文庫・新書・ハードカバー、仕事の本、各国の写真集。イメージを膨らませるための資料。重厚な本棚に、綺麗に整理されながらも殆んど隙間が無い。

「地震が来たらすぐに本の山に埋もれて窒息死しそうな量ですね」
「そうだね、そんな死に方が出来たら、カッコいいだろうね。本に最後まで囲まれ、好かれていたって」


キョーコも、そっと微笑む。
蓮も、微笑む。

最近、相互理解を深める会話をしすぎているせいか、まるで長い事互いを深く知っているかのように、同じ空気が流れることがある。

キョーコは、その空気が、とても苦手だった。それはまるで、蓮と恋愛をしているかのような空気で、甘いような、くすぐったいような。

蓮の、目を見張るように美しく、高貴な雰囲気。端整な顔立ち。穏やかで、心地よい声。
蓮に会う前には、自分の唇のグロスを付け直したりした。
そんな自分をバカだと、それを付け直した後、鏡の前で心底思ってしまう。
まるで、彼にでも会うよう。
自分は恋心じゃない。相手などもちろん恋心では無い。
化粧を直す理由は、単純に相手に失礼にならないように、馬鹿にされないように。決して綺麗な自分を見てもらいたいわけじゃない。自分はあくまで蓮とは仕事の関係だと思っている。

そう思えば思うほど、まるで、自分は蓮に恋をしているような気がして、若しくは、恋をしてしまいそうな空気で、自分を戒める心、それだけで、どこかで『ドキドキ』した。


世界のトップモデルを前に。
何を考えているのだろう。
自分の妄想力もここまで来ると病気だわ、と思う。
相手だってびっくりだ。

それでも蓮の世界で過ごす時間は、穏やかでとても優しい時間だったから、自分が好きでここまで来ている事も、分かっていた。

たまに、彼は、周りが「すごい」だとか、「カッコいい」だとか思っているよりは、自分の事を『普通』だと思っているのかもしれない、とも思う。

でなければ、事務所の下っ端中の下っ端などに、自ら茶など淹れないし、毎度快く迎え入れたりだとか、送り迎えなどもしないだろう。きっと、彼の性格。誰にでも同じように接し、誰にでも同じ事をする。
特別などでは、無い。
彼は世界のトップモデルであり、ドラマの脚本家であり、作家でもあるのだ。

恋だとか愛だとか・・・その時々の返答だとか、女の子が喜びそうな言葉など、十はその手の中に用意してあるだろう。


少し、寂しい。

『もう少し、その妄想の中で、勝手に『ドキドキ』していてもいいですか?
心は、どこまでも自由でいていいって、先日、言ってくださいましたよね?
私が、あなたに、好意を寄せている理由は、何ですか?
私は、敦賀さんの、どんな色を見ているのですか?
どんな、幻想を、幻覚を、見ているんですか?
私は、あなたの甘い言葉に、敦賀さんの作り出す甘ったるい雰囲気に、騙されてるんですか?
あまり人にストレートに優しくなんて、されたことが、無いから、その優しさに、溺れているだけですか?』


何度も、帰りがけ、自分の心に問いかけた言葉。
答えは、帰ってこない。


――自分の感じたこと、それだけでいいんじゃないかな・・・


蓮の言葉が反芻される。
確かに、自分の都合のいいように、言葉を受け取る。
自分の感じたことを、そのまま素直に受け入れるのは、すごく、すごく勇気と体力がいる事だと、キョーコは思った。


蓮の作り出すどこか柔らかで甘い空気から逃げるように、キョーコは窓辺に寄る。

沢山の車のヘッドライトが寄り集まり、豆粒のように小さく輝きあっているのが見える。

「・・・・高いですね。何もかもが、おもちゃみたいにちっちゃい。東京じゅう何でも見おろせて、まるで、神様にでもなったみたいです」
「・・・そうかな・・・。・・・空を、近くで見たかったんだ」

蓮は、沈みかけた夕焼け空を指して、

「・・・あと・・・月とか、星とか。昼間なら太陽とか、雲とか。飛行機がたまに遠くの方を飛んでいたり・・・」


蓮は空も遠くの方を見ながら、キョーコに言っているようで、言葉を噛み締めながら、自分に言い聞かせるように、言った。


「ロマンティスト、ですね」
「・・・・・・・・・」

珍しく蓮は微笑むだけで、キョーコの言葉に返事をしなかった。

キョーコは、蓮の気持ちが理解できなかった事が、寂しかった。きっと、自分は、何か方向の違う事を言ったのだ。

少しの間、沈黙が流れた。

蓮が先に動いた。
パソコンの起動音が、全てを現実に引き戻した。

「仕事、するよ。君は、どうする?帰る?」
「もうちょっとだけ、ここにいても、いいですか?敦賀さんの、お仕事風景、見ていてよければ・・・ここで、台本を覚えてよければ・・・・」
「別にいいけど・・・・監視役も、仕事の内?」

蓮はふぅ、と大げさに息を吐き出す。キョーコは、「そうですね、逃げ出さないように」と笑って返事をした。


「今日はね、新しい映画の、脚本なんだ」
「映画。私には、夢のような舞台です」
「すぐに、出られるようになるよ」
「ふふ・・・そうだと、いいです」


キョーコはその部屋のソファで、蓮が仕事をする様を見ていた。軽快なキータッチ音がする。しばらく蓮の仕事の資料である雑誌の記事を読んでいた。

ふと見上げると、蓮の背中が目に入る。たまに止まるキーの音。急に始まる勢いのいいキーの音。そんな蓮の背中を見守りながら、キーを叩く音を子守歌に、いつの間にか、眠っていた。


*****


「お嬢さん、起きて」

蓮によって掛けられた毛布は、自分の体温で温まり、ものすごく心地よかった。が、そんな気分など、すぐに吹き飛ぶ。

「・・・・・・わぁっ・・・・。いけない、こんな時間!」

もうすぐ、帰りの電車も終わる時間だった。
一体どれ程の間、優雅に眠ってしまったのだろう。
彼は懸命に仕事をしているというのに。

「・・・・すみませんでした・・・」
「・・・・いいえ。気持ち良さそうに眠っていたね。・・・送る時間が無いから・・・良かったら泊まっていけば?」
「えっと・・・・」
「あっちに、ゲストルームがある」
「でも、あの・・・・」
「大丈夫だよ、オレは今夜大詰めだから。君が警戒する様な事は、何も無いよ?」
「・・・・・・・・」


だから。
蓮とは仕事での付き合いだと、分かっている、が。


「男の部屋に、泊まったこと、無い?」


くすり、と笑った蓮を見て真っ赤になったキョーコに、蓮は、一つだけ、悪戯をした。


「このまま、朝まで、この部屋で、オレといてみる?」


そう低く甘い声で耳の奥にささやかれて、すぐに、キョーコは地下鉄の帰宅ラッシュの波に、――心臓がものすごいはやさで鼓動を続けながら――、揉まれていた。















2008.10.15