バラの融点12





撮影が進むにつれて、蓮とキョーコの会話は撮影の中で増えていった。
撮り直しが入れば同じ会話を繰り返すことになる。


『バラは切るためにあるんだよ』


と言いながらキョーコにバラを渡す蓮の台詞を、監督である新開は何度も撮り直した。


蓮がキョーコの気を引くための優しい微笑を浮かべて、ただキョーコにバラを渡すだけなのだったが、キョーコの表情がどうにも気に入らず、新開は一向にオーケーを出さなかった。


どうしてオーケーを出してもらえないのかすっかりわからないキョーコは、徐々にパニックに陥っていった。

「じゃー休憩ね〜」


ついには休憩となってしまって、休みを取りながら次の準備へとざわつくスタッフの中、キョーコはますます落ち込んだ表情を浮かべた。

「す、すみません・・・・敦賀さん・・・・私に台詞のない場面を何度も・・・」
「いや、オレは気にしてないけど、大丈夫?少し休もう」

蓮はキョーコを気遣って、椅子に座るように進めた。
社が持ってきた二人分のペットボトルの水を貰い、一本をキョーコに渡す。
ぺこり、と一度頭を下げて、キョーコは貰った水を一口含んだ。
そこに新開がやってきて、「京子ちゃん、ちょっといい?あっちでオレと話そう」と言って、キョーコを手招いた。キョーコはすぐに立ち上がり、急いで新開の元へと並び、歩いた。

新開は人の居ない場所へキョーコを誘うと、おもむろに言った。


「蓮が、嫌い?」
「え?」
「・・・・画面には、蓮を拒もうとしている表情が写ってる。少しだけ嬉しそうにはにかんで欲しいんだけど。だからあの場面はまだ通せない。君はただ、蓮からバラを貰うだけになっていて、感情が読み取れないんだ。悪いことは言わない。蓮に落ちなさい。そして、映画の後は、忘れていいから」


あくまで監督は仕事として蓮を好きになれとはっきりとキョーコに言い切った。そこに新開のためらいは一切ない。監督としていい画を撮るためになら、自らの感情もそこにおいて欲しいと。

「でも蓮にしちゃあ珍しいのかもな。あんまり女の子に好かれないという事がないから・・・。かといって蓮が好きで好きでしょうがないような子を使えば、今の場面も楽に撮れるかもしれないけど、映画が単なる女優の遊び場になるしなあ。だから君に期待してるんだ。自らの感情を画面に持ち込まずに役柄そのままとして演技できる君の仕事力にね。だから仕事として、蓮を好きになっておきなさい。何なら蓮にも同じ事を言っておいてもいい。仕事として彼女を精神的な恋人にしておけとね」


新開は、自らが言っている事はごく当然のようにキョーコに伝えた。
そう言われてもキョーコには、蓮を好きになること、と言われても一体どうやって仕事として好きになれるのか、余計にグルグル目が回るようだ。

にこり、と笑った新開は、

「蓮を好きになるの、怖い?忘れられなくなりそうで」
「・・・・・」
「大丈夫だって、次の仕事で蓮はまた別の子と恋愛をするのだと思ってしまえば、終わった時、全てが夢か幻かになる」
「・・・・好き、というのは、一体どうやって好きになるのでしょうか。好きになって、どうしたらいいのでしょうか・・・・」


そうキョーコがはじめて口を開いたとき、新開は、ニッと笑った。

キョーコはラブミー部員だというのはLME社長から聞かされている。ラブミー部員の趣旨も。今回蓮の作品に自分が指名されているのはもちろん蓮の内情を知っているからではあるからにしても、ラブミー部員の心の矯正も社長の意図する部分だというのは、社長の口ぶりから理解が出来た。

相手が世界の中でもかなり好感度が高い蓮なら、罪悪感無く心から愛する気持ちを表に出せるのじゃないか。割と楽観視していた新開だったが、社長お墨付きの『愛の欠落者』、中々一筋縄ではいかなそうだ。

しかも、京子は賢い。蓮が好きで役を喜び、蓮に媚を売り、監督に媚を売るような、自らの感覚的な事だけで動く女の子らしい女の子ならもっと扱いやすいものだが、彼女は頭で恋愛を理解できないと言い切ってしまう。恋愛の壁の前に大きな理性が聳え立っている。

どうやってその理性を覆すのか・・・蓮なら何かその高い壁を少しでも突き崩す物を持っているのじゃないか、という淡い期待にすがっていない訳ではない。が、そんな不確かな感覚よりもっとハッキリと自信が持てるのは、蓮なら『仕事で』キョーコに本物の演技をさせるだろう、という事。本物の演技、すなわち本当に恋もどきの感覚を引き出せるだろう、という事。

まだ撮影部分が恋を自覚しそうな場面、その恋を自覚しそうな場面で、淡い表情のひとつも浮かべられないキョーコに、新開は待ったをかけている所だった。


「恋をした事がないわけじゃないだろう?」
「はい」
「恋をした時のあたたかい感覚、思い出せる?」


新開にそう問われ、キョーコは強く体を硬直させた。
思わず拒否反応が強く出た。
思い出したくない、そんな演技したくない、そう新開に口走ってしまいそうになって、すぐにこれは仕事での話だったと思い直す。

新開は映像を撮る人間。口にしなくてもすべて伝わってしまった。
少し笑って、キョーコに優しく言った。「追い込まれているところをさらに追い詰めて悪いとおもっているんだけどね」、と言ってキョーコの頭を、子供を撫でるようにそっと撫でた。

「無理強いをしたい訳じゃない。何かトラウマがあるのかは分からないけど。どうしても、君が体の中に隠しているそれを、表に出して欲しいんだ。じゃないと、画が本物にならない。これは君の今後の仕事への評価にもかかわって来るし、もちろん、オレの仕事の評価にもなるから、何度でも納得が行くまで撮り直す。悪いことは言わない。仕事の間だけでいい、蓮を、『まるで恋人のように』、好きになって欲しい」


キョーコは、「はい」、とハッキリ言えずに、ただ、ゆっくりと深く頷くしかなかった。




*****



新開が先に戻ると、蓮が「長かったですね、お説教ですか」と新開を呼び止めて、言った。

「いいや。お前を恋人として好きになれと言ってきただけだ」

新開がストレートにその言葉を発したのは、蓮の様子と本心を確かめる為だったが、さすが鍛錬されているのか、新開の言葉に表情ひとつ変えず、

「そうですか」

と、綺麗な微笑を浮かべただけだった。
新開は、今度は蓮を喧騒の外れに呼んで、茶を口にしながら、今度は正しく休憩し始めた。


「お前に言うのもなんだが・・・・あの子を、『本物』に仕立て上げる算段は整っているんだろ?」
「いいえ、全然。あの子自身に任せていますよ。撮影でオレが引っ張って撮った場面はありません。罠にかけるのは本位じゃないですから」
「・・・あの子の事、好きなのか」
「そうですね、好きですよ」
「一人の女性として?」
「・・・・・・・・・」


蓮はあえてその問いに少しだけ躊躇した。
躊躇しないで笑顔で「いいえ」と言う事も出来た。
が、監督に嘘をついてみた所でどうせのちのち画面上でばれる。
だからあえてイエスとも言わず、躊躇しさえすれば、真実ではあっても言いにくい雰囲気ぐらいは伝わるだろうと思った。


「まじめに?」


もちろん鋭い新開には蓮が意図した通りに伝わった。
予想しなかった蓮の様子に、監督が目を大きく見開き、思わず繰り返し問うた。
予想外の展開だった。まさか蓮が選んだキョーコが、そんな私情を挟んでのキャスティングだったとは思っていなかったからだ。


新開にしては珍しく,、声を上げて笑った。


「・・・この話は事務所でたまたまあの子が話す姿を見てインスピレーションを貰って書いたので・・・あの子自身がこの本のイメージガールそのものなんです」


それは素直に話した。


「なるほど?」


新開は目を伏せて、目の前のお茶のペットボトルの胴体を、クルクルと手の中で回した。


「・・・・・あの子を『本物』にするにはお互い大変そうだ」


新開はただそう言って静かに笑った。









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